三島由紀夫『太陽と鉄』

三島由紀夫『太陽と鉄』中公文庫、1987年11月
この文庫には、「太陽と鉄」と「私の遍歴時代」の二つが収められている。「太陽と鉄」は、三島の身体論すなわち「肉体」という問題を考える際に重要となるエッセイである。
三島はこのエッセイの冒頭で、こんなことを述べている。

私が「私」というとき、それは厳密に私に帰属するような「私」ではなく、私から発せられた言葉のすべてが私の内面に還流するわけではなく、そこになにがしか、帰属したりすることのない残滓があって、それをこそ、私は「私」と呼ぶだろう。(p.9)

三島は、小説ではどうしても表現しにくいものが自分のなかに堆積しているように感じていると告白している。この「私」と、言葉として発せられた「私」の間にズレが生じること。言葉の「私」に収まらない、「私」とは何かと三島は考える。そして、たどり着いたのが「肉体」であった。
このエッセイのなかで、三島は言葉を不純なもの、肉体を汚染するものとして呪詛している。言葉を扱うのが小説家であるにもかかわらず、言葉を激しく嫌う。言葉は、この「私」から現実や肉体を奪うのだ。
こうして、三島が求めるのは言葉という媒介(媒体)を介さずに、直接現実と触れることだ。媒介を経ない直接的に世界とコミュニケーションを行うユートピアを目指す。つまり、このエッセイは、反媒介(メディア)論なのである。

太陽と鉄 (中公文庫)

太陽と鉄 (中公文庫)