貧しさという豊かさ

「匿名性と野蛮」という特集で、北田暁大×斎藤環の対談、そして小泉義之酒井隆史の談話が収められている雑誌『談』を読む。今回は、あまり興味を引く箇所がなく、ちょっと残念だった。
この特集は、ともかく、一箇所だけ記憶しておきたい箇所があった。酒井氏の記事である。

……ジル・ドゥルーズが愚鈍さということを言いましたよね。愚鈍になること、というのは、今おっしゃった「無知」ということと近い意味がありそうですが。


ドゥルーズ自体がそういう人でしたから。情報を常に積極的に仕入れてそれに対して対応するというタイプの思想家ではなかった。情報が入り込むと思考の密度を高められなくなる、一種の妨害と考えていたんじゃないでしょうか。だから、必要なのはある種の貧しさです。その貧しさ、たとえば情報の貧しさが、別の豊かさの前提になるんです。この貧しさのあり方を、一種の生存の技術として練り直していくこと、それが重要なように思います。(p.80)

この直前で、酒井氏は、インターネットは以前は人を解放的にする、と言われていたが、今ではむしろ逆に人々を包囲している感がある。このように言うとき、意識されているのは「チクリ、密告」である、と。
そして、このような包囲社会から抜け出すにはどうしたらよいか。それには「無知」であることではないか、ということを酒井氏は述べていたのだった。
たしかに「無知」であるのも、生き残るための一つの方法ではあるなと思う。私も、時々、あまりにも情報を知りすぎるために、逆に身動きがとれなくなるのではないか、と感じていたので、このアイデアは理解できる。「無知」であること、「貧しい」こと。これって、意外に使い道があるのではないか。
私が尊敬している文学研究者の一人に、今や文学研究の古典とも言うべき名著『ミメーシス』を書いたアウエルバッハがいる。この『ミメーシス』自体、とても面白い本なのだが、アウエルバッハ自身もまた興味を引く人物である。
この『ミメーシス』をアウエルバッハがどのようにして執筆したのか。「後書」にこんなことがさりげなく書かれてあるのだ。

それになお、この研究が第二次世界大戦中にイスタンブールで執筆されたという事情がつけ加わる。イスタンブールには、ヨーロッパ研究のための完備した図書館は一つとしてない。国際的な交流は杜絶していた。その結果著者は、ほとんどすべての雑誌、大半の新しい研究書、それどころか時に自分の扱うテキストの信頼しうる批判版の参照さらも断念せざるを得なかった。(…)それはそれとして、この書物の成立は、どうやら、大規模な専門図書館が存在しないという、ほかならぬその事情に負うているらしいのである。かりに、これほどおびただしい対象について書かれた一切の文献を参照しようとしたならば、筆者はおそらく執筆にとりかかることはできなかったであろう。(『ミメーシス 下』ちくま学芸文庫、p.482−483)

この言葉は、かなり勇気づけられる。ヨーロッパの各時代における任意のテクストを選び出し、その時代における「ミメーシス」つまり現実描写のあり方を緻密に文体分析し、そこから各時代の意識までをも明らかにしたこの研究が、あろうことか最新の研究情報が遮断された場所で書かれていたとは!
どうしようもなく「貧しい」環境のなかで、これほど「豊かな」研究が出来たということにまず驚いてしまう。要するに、やろうと思えばどんな環境でもやれてしまうものだ、ということなのかもしれない。アウエルバッハから、思考には、物質的な豊かさや情報の豊かさが、必ずしも必要であるわけではないのだ、ということを知った。私の研究の貧しさは、物質的、情報の量的な貧しさに因っているのではなかったのだ。それは、ただの言い訳だ。本当は、「考えること」それ自体の貧しさにすぎなかったのかもしれない。もっと粘りが必要なのだ。
一見すると「貧しさ」に覆われているようで、実はどんな映画よりも「豊かさ」を示しているのが小津の映画だとも言える。蓮實重彦が批判していたのも、それまでの批評家が「小津」を語るときに、つねに「〜がない」という否定性で語っていたことだ。「小津の画面には〜がない」として、その映像の「貧しさ」を見てしまう。それが、否定的にせよ肯定的な評価に値するとしても。しかし、蓮實重彦は小津の映画を「否定」では語らない。それによって、小津映画の「豊かさ」を示した。これもまた、「貧しさ」が逆に「豊かさ」を産む例の一つではなかろうか。