すごく読みたかったもの

小林秀雄小林秀雄全作品別巻1 感想 上』新潮社、2005年2月ISBN:4106435691
加藤幹郎『『ブレードランナー』論序説――映画学特別講義』筑摩書房、2004年9月ISBN:4480873155
とうとう「感想」までたどり着いた。この別巻1と別巻2が、小林秀雄自身が「失敗」と言い、連載を途中でやめ、また出版することあるいは全集類に収録することをも禁じた、ベルクソン論だ。小林秀雄ベルグソンの関係については、研究もあるのだろうけど、これまでは初出雑誌に拠るしかなかった。ようやく新しい全集と、その全集をもとにしたこの全作品のなかで陽の目を見ることになった小林秀雄ベルグソン論。読むのが楽しみだ。
『『ブレードランナー』論序説』も、欲しかった一冊。出たときにすぐに買うつもりだったが、グズグズしていて今頃になってしまった。目次を見ただけでも、かなり詳細な分析であることが窺われるが、それにもかかわらず「序説」とするところが、面白いというかなんというか…。このタイトルの付け方からも「蓮實」っぽさが出ているのではないか、と邪推してみる。「まえがき」には、こうも書いてある。

つまりわれわれ観客はある一本の映画を見たつもりでいながら、実際にはしばしばその映画を見損なっているということがあるのだということ、それが本書の出発点である。

余計なことかもしれないが、参考までに蓮實『監督 小津安二郎』(ちくま学芸文庫)を引用しておこう。

小津安二郎の映画を現実に見つつある瞬間、人は、断じて小津的な遊戯を楽しむことなどできないだろう。というのも、小津安二郎の映画のどの一篇をとってみても、それは小津的なものに決して似てはいないからである。にもかかわらず多くの者が小津の映画を小津的だと思うのは、瞳が画面を見ることを回避しているからにほかならない。(p.11)