「ナショナリズム」について、ようやく満足できる研究書に出会った

小熊英二『<民主>と<愛国>』新曜社
岡崎京子東京ガールズブラボー』宝島社
『<民主>と<愛国>』、ようやく全部読み通した。読み通すのに、けっこう時間がかかってしまった。もっと速く読むようにしないと。
戦後の「公」に関する言説の変遷を検討し、「戦後思想」と呼ばれるものが何か、ということを明らかにした。私は、こうした思想や、政治的な事柄については知識が少ないので、この本によって知ったこと、理解したことが多い。
この本は、「戦後思想」が「戦争体験の思想化」であったという。なるほど、個々の思想家や評論家の言説を分析する際、その人物がいつ生まれ、どんな環境、あるいは社会背景で育ってきたのか、ということが詳細に検討される。もちろん中心になるのは、「戦争」をどのように体験しているか、ということが重要になる。戦時中に体験したこと、考えたことが、戦後になってその人物の思想の核となっていることが分かる。批評の対象となる人物の背景を検討する作業が、綿密なので勉強になる。
昨今のナショナリズム批判の本と違って、この本はただナショナリズムを指摘してその人物を批判するだけというものではない。あくまで「公」に関する言説の中身を明らかにすることに徹している。その点に大いに共感する。結論のところを読んでも、「そこで今後のナショナリズムの展望だが、筆者は原則的には、ナショナリズムを一様に全否定することは、さほど意味をもたないと考える」(p.826)と言う。

ナショナリズム」とは何かを筆者なりに定義すれば、心情の表現手段として「民族」や「国家」という言葉が採用された状況、ということができる。その場合の心情はきわめて多様であり、権力志向や他者への悪意もあれば、反権力志向や他者への連帯願望もある。そうした個々の文脈を無視して一括して「ナショナリズム」という総称を与え、それを肯定したり否定したりしても、どれほど意味があるのか疑問である。(p.826)

この本を読んで、私自身がナショナリズムに関する本を読んでおかしいなあと感じていたことをうまく言語化してもらったと思った。とりわけ現代社会に見られる「ナショナリズム」の現象を指摘して、批判をすることはできるだろう。だけど、そんな批判を知っていても「ナショナリズム」のようなものが、何度も何度も人びとの中に現れてくる。私には、これが不思議でならなかった。とりあえず「ナショナリズム」と見えるようなものが生じてくる、そのメカニズムのほうが知りたいと考えていたところ。なので、この本は多いに参考になる。

東京ガールズブラボー』を読んでいて、どうしてか胸が痛むというか心苦しくなったのはなぜだろう?マンガはとても面白かったのだけど、この舞台となっている「東京」がひどく窮屈というか閉塞感が漂っているというか。こんな時代に生きていたら、人間ぼろぼろになってしまうなあと感じた。