日本の教育はもしかすると優秀かもしれない

「日本の教育システムは終わった」的な主張のブログをいくつか見かけた。「日本の大学は終わっている」と言う「フューチャリスト」もいるみたいだ。
それにしても、日本の教育システムは、効率よく知識を詰め込むにはよいシステムだが、「自分で考える」人間を育てるには不向きだという、昔からよく言われる退屈な議論が目立つ。なぜ、今ごろ、こんな議論が出てくるのだろうと疑問に思った。なんていうか田舎の高校生あたりが主張するような話だなあと。
よく考えてみれば(別に考えなくても)、日本の教育システムがそんなにすぐれた「洗脳」システムではないことがわかるだろう。なぜなら、本当に教師の言うことにただひたすら盲従し、一切の反論を許さない洗脳が行われていたら、そもそも「日本の教育システムは終わった」などと批判などできないだろう。日本の教育システムを批難できるほどまで、思考力を養えたのだから、日本の教育システムは十分に「自分で考える」人間を育ていると思う。というか、あなたたちは、そんなに教師の言うことに「盲従」していたのか!
したがって、日本の教育システムに疑問を持つ人が増えたということは、これはこれで、「情報を疑え」という教育がうまく機能していると言えるのではないか(意図せざる結果)。
詰め込み教育は悪いというが、知識を覚えることは重要だ。たとえば、語学を勉強したことがある人などは実感していると思うが、結局は例文を暗記するのが一番の語学の勉強になるのだ。もちろん、詰め込みだけでは十分な実力はつかない。「自分で考える」といった技術もどこかで学ばなければならない。ただ、一概に詰め込み教育が諸悪の根源だとは言えない。
「〜〜は終わってる」とか「〜〜が欠けている」とか、こういう議論はたいてい抽象的な議論に陥りやすい。どこにそんな状況があるのかと疑うことが、「メディアリテラシー」への第一歩なのかもしれない(もし、「メディアリテラシー」教育があるとすれば)。