池田晶子『14歳の君へ』

池田晶子『14歳の君へ どう考えどう生きるか』毎日新聞社、2006年12月
基本的にネガティヴ思考で、自分自身を悲観的に見る傾向があるので、たとえば「プラス思考で生きよう」とか「自分を信じよう」という言葉に違和感を覚える。
もちろん、マイナス思考よりプラス思考のほうが人生にとって良いのだろうなあと思う。ああ、こうした考えが嫌なのではなくて、こうした自己啓発的な言葉を臆面もなく公衆に吐く行為が嫌なのかもしれない。
こんな私が、池田晶子『14歳の君へ』を読むと当然、「何か違うなあ」と感じてしまう。この本で説かれている内容に文句はないが、たとえば「もし君が今自分は不幸だと思うなら、今すぐに幸福になることができる。自分は不幸だと思うのをやめることで、今ここで幸福になることができるんだ」(p.177)という文章を読んで、「その通りだけど、なんだかなあ」と思ってしまう私は天の邪鬼なんだろう。
ところで、はてなブックマーク経由で、My Life Between Silicon Valley and Japanの「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ」という言葉を見た*1。この言葉を見たあとで、このエントリを批判するのは難しい。というか、批判をしたらまさに相手の思う壺にはまってしまう。それでも揚げ足取りに批判すれば、この言葉はあらかじめ批判を封じる言葉だなと。こうした状況で、たとえば「対話」というものが成り立つのだろうか。ロラン・バルトだったと思うのだけど(正確なことは忘れた)、たしかファシズムというのは、言論を封じるのではなくて、一つのことしか言えないようにすることだという内容のことを書いていた。自己啓発的な言葉は、どうもその傾向があるように思える。つまり、人々をある一つの方向へと向け、それ以外の思考を与えてくれない。
『14歳の君へ』は、哲学というより自己啓発的な本なので、知的な刺激を求めようとすると肩すかしを食らう。この本は、ある意味世間的に「正しい」ことが書かれていると思う。だから、多くの人に受け入れやすい内容になっているのだろう。でも、「哲学」というか「考える」ということは、この本の内容を疑うことから始まるのではないだろうか。「どう考え、どう生きるか*2」ということを考えるのなら、とりあえず自己啓発的なものから遠く離れることが必要だ。

14歳の君へ―どう考えどう生きるか

14歳の君へ―どう考えどう生きるか

*1:人を褒めろと言いつつ、「ネット空間で特に顕著だが、日本人は人を褒めない。」とか言って、日本の「大人」を批判しているなあとつっこむのは、揚げ足取りなのだろうか?

*2:そもそも、これは「哲学」で問う問題ではないだろう。