斎藤英喜『読み替えられた日本神話』

◆斎藤英喜『読み替えられた日本神話』講談社現代新書、2006年12月
日本神話が、各時代の人々がどのように神話を読み、そこから神話をどのように読み替えてきたのかをたどる。
いわゆる「国民国家」批判の類の論文にありがちなタイトルなので、あまり期待せずに読み始めたが、これがかなり面白い。本書は、バカでもできる「国民国家」批判*1の本ではない。むしろ、神話をそうした近代国家批判の中でしか捉えてこなかったことへの批判がある。
神話は各時代にいろいろな読まれ方をしてきた。そして、神話を読み替えたのは、何も近代に限ったことではない。神話を読み、そこから自分たちの手で新たな神話を生みだす。そうした人々の豊饒な想像力に驚かされる。著者は、あとがきのなかで触れているように、中世に生みだされた自由奔放な神話に注目している。しかも、中世の人々は単に荒唐無稽な神話を生みだしていたわけではないことにも注目している。神話の書き換えが、中世ヨーロッパに通じるような「神学」とも呼べる知的営為であったことを指摘しており、思想史的にも非常に興味深い。神話の書き換えは、神とは何かという思考に繋がっていたのである。このような知の場は、近代的なイデオロギーからは見えてこないと著者は言う。まったくその通りであろう。

読み替えられた日本神話 (講談社現代新書)

読み替えられた日本神話 (講談社現代新書)

*1:「つくられた伝統」とか「つくられた神話」だとかを嬉々として批判する研究。こんなのはバカでもできるのだから、バカにやらせておけばいい。