「素人」というレトリック

昨日から、「素人」というレトリックについて考えている。「オレは素人だけど…、なのに専門家は×××」といったレトリックのことだ。自分を低い位置に置いて、そこから上位の者をおとしめるテクニック。こういうのが伝統的なレトリックのなかにあるのかどうか知らないが、おそらく多くの人がこのレトリックをブログ上で見かけていると思う。
日本語には謙譲語というものがあって、それは自分を低い位置に位置づけて、相手をうやまうものであるが、上記のレトリックはその反対になるわけだ。
こうした用法とはべつに、もう一つ「素人」という自意識も気になる。誰かを、特にいわゆる知識人や専門家を批判する際に、多くの人は、自分は「素人」であることを強調する。自分は「素人」であるという自意識を、ネットでよく見かけるようになった。いわば「素人」の氾濫だ。氾濫の理由として、「素人」という立ち位置がけっこう便利だからだというのはすぐに想像がつく。「素人」が理解できることを、専門家のくせに知らないのかと批判することができるし、逆に専門家から突っ込まれても、「いや、自分は素人だから(わかりません)」と逃げを打つことも可能だ。相手を攻撃する際にも、防御するにも、「素人」という立ち位置は最強なのかもしれない。
ここから早急に「素人」であることをやめよと批判するのは保留しておきたい。とりあえず、自分は「素人」であるという言い方には注意を払っておきたい。(しかし、ネットであろうとどこであろうと、人は対等であるべきなのではないか。近年、情報に対するアクセス可能性は、「素人」であろうと「玄人」であろうと、極端に有利・不利ということがない。したがって、いたずらに「素人/玄人」の二項対立を作るべきではないのではないか。とりわけ言論の場では、「素人」であろうが「玄人」であろうが対等の立場であり、「素人」であることが説明責任を免除する理由にはならないはずではないか。だから「素人」に恐れる必要はないし、そもそも「素人」という立場には何の意味もないといえる。)