『明暗』の「小林」と私

『明暗』に登場する一風変わった人物である「小林」の言葉を、このまえの日記で引用した。というのも、小林の状況と今の自分自身の状況が似ているではないか、と思ったからだ。このまえ引用した部分のつづきをみてみよう。
小林は、《「僕は君の腹の中をちゃんと知つてる。君は僕が是程下層社会に同情しながら、自分自身貧乏な癖に、新らしい服なんか拵へたので、それを矛盾だと云つて笑ふ気だらう」》と津田に絡みつづける。いい加減面倒になった津田は、《「さうか、そりや悪かつた」》と適当な返答をする。すると小林はちょっと態度を変えて、《「いや僕も悪い。悪かつた。僕にも洒落気はあるよ。そりや僕も充分認める。認めるには認めるが、僕が何故今度この洋服を作つたか、その訳を君は知るまい」》という。
その理由はとは何か。小林は、「朝鮮」に行くからだと答える。小林は、それまで雑誌の編集をやったり、校正をしたり、その合間に自分の原稿を書いて、金をもらえそうなところに持ち込んだりしていたが、結局東京にいたたまれなくなり、そこで朝鮮へ渡り、そこの新聞社に雇ってもらうことになったという。

「斯う苦しくつちや、いくら東京に辛抱してゐたつて、仕方がないからね。未来のない所に住んでるのは実際厭だよ」(中略)
「要するに僕なんぞは、生涯漂浪して歩く運命を有つて生まれて来た人間かも知れないよ。何うしても落ち付けないんだもの。たとひ自分が落ちつく気でも、世間が落ち付かせて呉れないから残酷だよ。駆落者になるより外に仕方がないぢやないか」

長々と引用してみた。この小林の状況に、つい私自身の状況を重ねて共感してしまう。日本では、生きていくのが難しいなあと考える日々。
私の場合は、中国に行って働くことになった。大学院を3月に修了してから、就職活動をやってみたが、結局思うようにいかなかった。だいたいは、応募しても面接にすらたどりつけなかった。ハローワークに行ったり、ジョブ・カフェにも行ってみた。そこで、性格検査や能力検査などを受けたりもした。ジョブ・カフェでは、そこの相談員の人にどうしたら就職できるのか相談もしてみた。答えは採用されるまで応募しつづけることだった。「書類で落ちて、面接にすらいけないのですが…」と相談したが、答えはやはり「応募して面接しましょう」だった。「あ、いや、だから、応募しても、その面接に…」と何度も説明しようとしたが、ループに陥りそうだったのでやめた。とにかく応募しつづけていれば、どこかに採用されるだろうという答えは、至極当然の答えだと思う。たしかにその通りだが、それならわざわざ相談するまでもないなとちらっと思った。(相談員の方は、とても親切で熱心だった。そのことは感謝している。)思うに、ジョブ・カフェあたりでは、私のような高齢の高学歴無職者に対応するノウハウがないのではないか。(そもそも、高学歴者なら相談などしなくても、高い能力を持っているのだから自力でなんとかできるはずなのだろう。実は、私はジョブ・カフェというところがどういうところなのか、フィールドワークのつもりで通っていた。)
打つ手がないなあと悶々と悩んでいた頃、知り合いの方から、中国の大学で日本語を教えてみないかと紹介された。藁にもすがる思いで、その紹介に飛びつく。そして、いろいろと手続きを経て、なんとか中国で職を得ることができた。なんとも幸運だったとしか言いようがない。だから、「大学院に行っても大丈夫だ、仕事はある」なんてとても主張することはできない。本音を言えば日本で働きたいが、そうはいっても高齢で職歴無しの私では日本で職を得るのは難しいのだろう。私のような中途半端な実力しかない研究者では、アカデミック・ポストなんて夢のまた夢だ。
とにかく職歴を得るために、中国に行くことにした。この選択が、将来どんな影響を及ぼすかわからない。しかし先のことを心配しても仕方がないし、とにかく働いてみるしかない。このチャンスを、精一杯生かしたいと思う。――斯う苦しくつちや、いくら「日本」に辛抱してゐたつて、仕方がないからね。未来のない所に住んでるのは実際厭だよ――