川西政明『小説の終焉』

川西政明『小説の終焉』岩波新書、2004年9月
「〜〜の終り」とか「〜〜の終焉」といった類の言説は、うさん臭い。それによって、何か面白い論点が出るのだろうかと、最近考えている。
この本のタイトルは、そのものずばり『小説の終焉』だ。著書はどういった考えで小説の終焉を語ろうとしているのか気になる。

僕は小説が好きだ。日本で小説を一番多く読んでいる一人だと思う。僕は四十数年の間、毎日、小説を読んできた。筆一本の批評家だから、だれにも遠慮なく、思う存分、小説を読む時間がある。その上、『昭和文学史』(全三巻、講談社)を書くために、十七年かけて小説を読み直した。そこで実感した。小説はどうやら終焉の場所まで歩いてきてしまったらしい。(p.酛)

40年以上にわたって、毎日小説を読み続けた結果、「小説はどうやら終焉の場所」に来てしまったというのだから、たしかに説得力はある。著者は、現在の小説には、過去の小説を凌駕するようなものがないと感じている。そこで、これからも小説が続いていくためには、「百二十年の歴史が積み上げてきた豊饒な世界を凌駕するまったくあたらしい小説の世界が生み出されなければならない」とする。そのために、本書は書かれた。過去の豊饒な世界を凌駕したと判断できる「土台」となるものを、著者は提示しようというわけなのである。その意気込みは理解できる。
それにしても、40年間ひたすら小説を読み続けたというのは伊達じゃない。著者は、あとがきにこんな言葉を記している。

その僕のなかで、小説はその使命を終えてしまった。読みたい小説は全部読んでしまったからだ。今、読みたい小説を再読しようとしても、小説のほうで、もう隅から隅まで読んでもらった、あらためて読んでもらわなくてもいいよと語りかけてくる。(p.212)

「全部読んでしまった」と言い切れる自信。これはとんでもないなと思ったりもする(半分揶揄の気持ちもあるが)。私もいつかこんな言葉をつぶやくようになるのだろうか。そうはなりたくないものである。

小説の終焉 (岩波新書)

小説の終焉 (岩波新書)