佐藤俊樹『桜が創った「日本」』

佐藤俊樹『桜が創った「日本」−ソメイヨシノ 起源への旅』岩波新書、2005年2月
タイトルだけを見ていると、一昔前に流行したカルチュラル・スタディーズ系の研究なのかなと思ってしまうが、読んでみると著者はそのような「国民国家」批判の言説とは距離を置いている。そのあたりに好感を持った。要するに、本書は、桜と一口に言っても、さまざまな種類があるのに、なぜか桜を語るとき、私たちは型にはまったような語りしかしない、そうした桜の語り方を追いかけたものである。というわけで、桜はたしかに「日本」の存在証明に利用されたのかもしれないが、その見方も桜の一面しか見ていないというわけだ。桜を均質なものと見ることと、「日本」を均質に見ることはパラレルなのだろう。
では、今現在の私たちはどのように桜を見てしまうかというと、それは副題にあるように「ソメイヨシノ」なのである。私たちの感性は「ソメイヨシノ化」されてしまっているのだ。それを本書では、「ソメイヨシノ革命」と呼んでいるが、この分析がおもしろい。桜についての語りの分析に、システム論を使っている。幻想の桜を現実の桜に投影し、その現実の桜が幻想の桜と重なることで、ますます桜に対する幻想が強化されていく、ポジティブ・フィードバックが、桜の語りには存在することを指摘している。
桜というのは、人を饒舌にしてしまうらしい。桜に事寄せて、人は自分の感覚や記憶を語ってしまう。特に戦後は、桜語りの個人化の傾向にあり、語りは拡散しているという。これからもソメイヨシノは、個人の感覚や記憶を乗せる媒体として、これからも便利に使われるのではないかと最後に述べている。そして、ソメイヨシノは、「創り創られる桜として、桜のなかの一つでありながら、桜らしい桜でありつづけるだろう」(p.206)と。

桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅 (岩波新書)

桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅 (岩波新書)