三浦俊彦『ラッセルのパラドクス』

三浦俊彦ラッセルのパラドクス−世界を読み換える哲学−』岩波新書、2005年10月
ラッセルについては、ウィトゲンシュタインとの関係で名前は知っていたが、どんな哲学者だったのか、何を考えていたのかは知らなかった。なので、本書でラッセル哲学の中身を知り、その巨大さに驚く。著者は、本書でラッセル哲学が今現在でも価値があることを示そうとしている。私は論理学や分析哲学の知識がないので、本書を理解するのにやや苦労したが、著者の論じるラッセルの哲学はかなり面白そうだということが、なんとなく伝わってきた。心脳問題、心の哲学あたりでラッセルの哲学が生きてくるみたいだ。「中性一元論」という考え方が、ラッセルの哲学で重要になってくる。この「中性一元論」に、今後の哲学の可能性があるようである。
私が気になったことは、著者が「記号論理学は、英語などヨーロッパ語を母国語とする文化圏でもっぱら開発された学問であるにもかかわらず、論理学者の母語よりも日本語のような外国語の文法に合致している部分が少なくない(もちろん逆もある)」(p.105)と述べていたことだ。これは、論理学が普遍原理をかなり再現している証しではないかということだが、日本語の「論理性」にこだわる人にとっては、見逃せない事実ではないだろうか。
ほかにも、著者は「人称的主語を語らずに属性や関係性のみで指示する日本語」は、「ラッセル的論理に親近性をもつようである」(p.152)とも述べていておもしろい。もちろん、これは日本語が英語よりも論理的であるということを示すためではないことに注意したい。ここで著者が指摘したかったのは、ラッセルの論理が特に英語のみに偏ったものではないことを示したのである。それはともかく、「日本語には論理性がない」と主張する人は、ラッセルでも読んでみるとよいのかもしれない。
とりあえず、もっと勉強するために、本書の末尾に付されたブックガイドをメモしておこう。

アンソロジー

古典的論考、専門書

一般向け解説書、教養書