坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』

坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』文春新書、2006年5月
久しぶりに坪内祐三の本を読んだ。本書は、2003年から2004年に掛けて雑誌『諸君!』に連載されたものをまとめたもの。まえがきを読むと、この評論では「同時代性」に強くこだわっているのが理解できる。各章が独立した読み物となっているが、同時に全体としてのつながりも持った評論にしたという。したがって、テーマは歴史から文学や政治などがあるが、本書の全体に一貫して流れているのは「歴史とは一体何なのか」(p.9)というテーマであると坪内は述べている。そこで、坪内がこだわっている「一九七九年」が重要となってくるのである。坪内は「一九七九年問題」について、こう述べている。

私がずっと考え続けていたテーマに「一九七九年問題」があります。
一九八〇年前後を一つの境として、その時から歴史が変っていきました。
いわゆるポスト・モダン時代に入っていったわけです。
ポスト・モダン時代の大きな特徴の一つは、永遠の現在性です。
過去→未来、あるいは未来→過去という風に流れる時間を失なって、そこにあるのは永遠の現在だけ。
しかし、そのように思えたとしても、現実には、時は確実に経過して行くのです。現在は常に歴史化されて行くのです。
そういう矛盾点、それが「一九七九年問題」です。(p.9)

永遠に現在のまま、まるで時間など流れていないかのように思われたポスト・モダンと呼ばれた時代に、時間を取り戻す作業と言えばよいのか。ポスト・モダンを歴史の一つとして把握しようとしている。そのために何をしているのかといえば、この評論を書いている「今」と1979年前後の比較だ。こうして坪内にとって、1979年が歴史を把握するための、一つの参照点として重要視されるのである。
これまでは、「68年」という年が現代思想ではある意味特権的な年でもあったのだが、その年に少し遅れてやってきた世代である坪内にとって、よりリアリティがあるのが「一九七九年」なのだろう。これは、「68年」を相対化するという意味で面白い論点だと思う。