東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』

東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』講談社現代新書、2007年3月
従来の純文学を中心として文学史観を相対化するという本書の目的は、達成されていると思う。たしかに、私自身、これまでライトノベルなんて類型的で平板な物語でしかないと見ていたが、そうした見方自体が偏ったものでしかなかったのだ。本書はその偏見が何に由来しているのかと問うている。そこで、「ゲーム的リアリズム」とか「環境分析」など新しい概念や方法論が提示される。
それに、日本の近現代文学の研究で一番弱いところが、いわゆる大衆文学の分析で、たしか何かの本のなかで石原千秋が、構造主義がもっとも力を発揮できる大衆文学の分析があまり行われなかったことを指摘していた。なので、文芸批評に限らず、近現代文学研究でも大衆文学やエンターテイメント系の文学をうまく分析する方法がなかった。本書の登場によって、ようやく大衆文学やエンタメ系の文学を読み解く方法論が手に入った。その点では大いに評価できる。
従来、メタフィクション論といえば、「書くことについて書く」つまり創作について自己言及する作品がもっぱらだった。しかし、本書で取り上げられている作品は、書くことではなく「読むこと」について言及がなされるメタフィクションなのである。小説を書く「私」ではなく、小説を読む「私」が作品内に取り込まれている。小説を読む「私」を読むことに読者がリアリズムを感じているというのは、なかなか興味深い。
とはいえ、不満がないわけでもない。文学プロパーからすれば、本書の従来の文学に対する見方は、論の戦略上とはいえ、かなり矮小化されすぎていると思うし、環境分析といっても、本書の分析は従来の研究方法からでも十分に導き出せそうで、だったらわざわざ新しい方法を提示することもないだろうと。環境分析も、社会の変化(モダン/ポストモダン)が小説の読みに変化を与えたという社会反映論とどう違うのか、いまいち見えてこない。