四方田犬彦『「かわいい」論』

四方田犬彦『「かわいい」論』ちくま新書、2006年1月
タイトルから、四方田犬彦も流行の「萌え」論に手を染めたかと思ったが、本書は「萌え」論よりももう少し射程が広い。「萌え」についても、たとえば第8章で取り上げられているが、本書において「萌え」は「かわいい」文化のひとつと言えるだろうか。
「かわいい」というキーワードは、かつて大塚英志が使っていたなと思いつつ読んでいたら、最後の最後で大塚英志の名前を挙げずに批判がなされていた。「犠牲者の女性たちが一昔前の少女漫画のタッチで描かれていたというので、それを手がかりとして現代社会におけるサブカルチャーの重要性を喧伝するという論客が、いささか強引な論陣を張っていた」「それは純粋に世代の「刷り込み」問題であり、それ以上でも以下でもない」「こうした細部だけを強調することは、あのドストエフスキーの『悪霊』を思わせる陰惨な事件の本質をみえなくさせてしまうだけ」(p.196)という印象を持ったと四方田は批評している。
本書は、「かわいい」文化について、多角的な論を展開している。語源的な考察からはじまり、「かわいい」の美学的考察、メディア分析、ジェンダー分析、比較文化的考察などである。新書にしては、あきらかに話題が豊富すぎる。著者自身も「問題の所在を突き止めたまではいいが、それが充分に展開されているとはいい難い部分もある」と反省し、「専門的に論文を執筆してくださる方が輩出することを待ちたい」と述べている。
とはいえ、「かわいい」が充分に専門的な研究に価することを示していて面白い。様々な研究分野の人が興味を持つだろう。文学や映画に関心のある私には、「「かわいい」から読み解く近代文学史というものは、意外と面白く構想が可能なものではないだろうか」(p.36)という言葉が刺激的で、自分でこの文学史をまとめてみたいものだと思ったほどである。また、「かわいい」の隣人は「グロテスク」であるという指摘も興味深い。なんと、「きもかわ」が「かわいい」を理解するうえで重要な鍵となるのだ。この点は、エピローグで語られるアウシュビッツの「かわいい」壁画に繋がる。
本書は、「日本の国内国外を問わず、ただ圧倒的なまでに猛威を振るう「かわいい」の氾濫であり、その多様なあり方」を示した。多様なあり方をしている「かわいい」に対して、「かわいい」とはこれだ!と決めるのではなく、「かわいい」に対して人々がどのように対峙しているのかを考察することが重要であることを教えてくれる。「かわいい」の背後に人々は何を隠しているのだろうか。
誤記があった。「エミール・クストリッツァのフィルム『ライフ・イズ・パラダイス』」(p.103)と書いているが、おそらく『ライフ・イズ・ミラクル』の間違いだと思う。それから、註の24でSusan StewartのOn Longing : Narratives of the Miniature, the Gigantic, the Souvenir, the Collectionの一部が、翻訳されているとあって、それが収められている本の名前を「『現代文学のフロンティア』(岩波書店)第4巻「ノスタルジア」(1996)」(p.205)と記しているが、この本の名前は『世界文学のフロンティア』だった。『現代文学のフロンティア』は別の本なので、検索する際には注意されたい。

「かわいい」論 (ちくま新書)

「かわいい」論 (ちくま新書)