大学院を出たけれど

職がない。大学院で博士号を取ったなら、研究職を目指せばよいのだが、それもうまくいかない。いつポストの空きができるのか分からないし、たとえ募集があったとしても、少ないポストに多数の応募者がいるわけだから、簡単にポストが得られるわけではない。その間、どうしたらよいのか。また、このような不安定な生活に耐えられず、路線を変更して一般の職を目指そうとしても、高年齢で職歴が無いために難しい。結局、このまま将来が見えぬまま、フリーターとかニートになるしかないのだろうか。
毎日、このような不安を抱きつつ生きている。なので、昨日の稲葉氏と立岩氏のトークセッションはいろいろと考えさせられることが多かった。労働、所有、不平等、分配・再分配...etc これらの問題は、明日生きるか死ぬかの瀬戸際にいる私にとって切実な問題なのだ。
たしかに、大学院に進学したのは自分の意志である。そして、少子化の影響で特に文学系の研究は縮小傾向にあるということもいわれていた。アカデミックポストは厳しいということを承知で、進学した。だから、いまこうして職が無く苦しいのもすべて自己責任だといわれれば、その通りだろう。決して文科省の責任ではないし、企業の責任でもない。
今となっては進学したのは、間違いだったのかなと後悔することもある。大学院に入った頃は、数年後に自分がこんなに苦しむとは予想していなかった。博士論文を書けば、なんとかなるだろうと思い、それなりに努力して書いた。だが、博論を仕上げ、大学院を修了した自分に待っていたのは「無職」という現実だけだった。正直考えが甘かった。もちろん、自分のこれまでの研究生活のすべてを否定はしたくない。内容はともあれ、博士論文を書き上げたという誇りも持っている。とはいえ、現実はそれだけでは生きていけないのだ。
こんなことを書いてみたのは、これから大学院特に文系の大学院に進学することを考えている人に、もう一度よく考えて欲しいからだ。大学院に入学するのは易しい。だが、修了したあとに困難が待っている。そのことを踏まえ、また自分の能力や経済的な事情とあわせて、院に進学するかどうかを考えて欲しい。安易な院への進学は、数年後に自分を苦しめるだけだから。
もし、院に行くか就職するかで迷っているのなら、断然就職すべきだと思う。院は何歳になっても入学できるし、最近は社会人に対しても門戸が広がっている。本当に研究者になりたいと思うのなら、定年後でもなれるらしい。だが、就職は違う。あきらかに新卒が有利だし、新卒のレールから外れたら、就職は段々難しくなっていく。このことを忘れてはならない。
今はただ、とにかく働きたいと思う。働いて自立したい。もちろん、研究への未練はあるが、それにはもうこだわっていられない。