社会学関連

宮台真司『権力の予期理論』勁草書房
◆落合仁司『保守主義の社会理論』勁草書房
小熊英二単一民族神話の起源』新曜社
社会学系の本ばかり。こういう本ばかり買ったり、借りたりしていて、いったい自分の専門が何だったのか忘れそうだ。私の専門は、そうだ、近代の日本文学ではなかったか、と自己確認。
思えば、日々の読書と自分の研究が全然重なっていない。最近、面白いなあと思っている分析哲学も、社会学の理論も、いま私がやっている研究とはまったく関係ない。
こんなことをやっている理由の一つは、自分の研究がやりたくないということがある。現実逃避というものだ。
ああ、やっぱり好きなことを研究対象にしてはいけない、と近頃思う。特に学位論文では、自分自身が積極的な関心を持てないものを研究対象としたほうがいいのかもしれない。まったく関心のないものを研究するのはつらいけど、ほんの少しだけ関心がある、というぐらいなものをテーマに選ぶと意外に研究が捗りそう。
というのは、自分の経験だが、自分の好きなもの/非常に関心の高いものを研究テーマにすると、たとえばそれがうまく行ったときは満足感が大きくて嬉しいが、その逆になった時が問題になる。つまり、失敗した、失敗でなくてもあまり芳しくない論文しか出来なかったという時のショックがかなり大きい。研究テーマと自分のアイデンティティが強く結びついているために、研究の失敗は自分の存在の否定へとなりかねないのだ。
冷静に考えれば分かるが、自分の好きなものだからといって、必ずしもすばらしい論文が書けるわけではないのだ。もし、下手な論文しか出来なくて、おまけに学会発表や論文審査で、その研究を非難されたら、自分のアイデンティティの崩壊に繋がると思う。そうならないためにも、自分自身とある程度距離を取れるテーマを選んで、無難な論文を仕上げた方が、研究者として評価されるし、精神的にも健康でいられる。
学会などで充分な評価を得てから、あらためて自分の強い関心を持っていたものを研究するほうが、この世界を生き抜く戦略としては正しいのかもしれない。そう、たとえば宮台氏のように、博士論文ではアカデミズム向けに書いておいて、それでその専門分野である程度評価を得てから、自分の関心のあった研究に向かうのが、実はけっこう的を射ている、と思う。
ああ、私ももっと早くそれに気がついていたら、もっと学問的に無難なテーマを選んで、それで適当な評価を得られるような論文を書いたのになあ…。