野村芳太郎『張込み』

◆『張込み』監督:野村芳太郎/原作:松本清張/1958年/116分
野村芳太郎出世作と言える作品。非常にうまく構成された脚本だと思う。脚本の橋本忍がすばらしい。
冒頭、タイトルが出るまでが非常にかっこいい作品。二人の男が、汽車に駆け込み乗車するところから物語が始まる。汽車が混雑しており、二人は床に座りながら、何時間も汽車に乗っている。やがて目的地に着いて二人は、さっそく張込みを開始する。男の「さあ、張込みだ」という内なる声が出たところで、タイトルがバーンと出る。
物語は、質屋殺しの犯人を追いかけて九州は佐賀まで二人の刑事がやって来るところから始まる。佐賀には、かつて犯人の恋人であった女性がいる。もしかすると犯人がこの女性のところにやって来るのではないかということで、この女性の家を張込みすることになったのだ。若い刑事とベテラン刑事の二人が、一週間この女性を見張っていた。この女性の生活は単調そのもの。年の離れた夫は厳しく、しかも後妻なので、子どもたちともどこかうまくいっていない。そんな女性の生活に、若い刑事は同情を抱くようになる。
結局、犯人が現れず、二人が東京へ帰ろうとした日に、女性が動き出す。彼女を追いかける若い刑事。女は犯人と接触する。こうして、無事に刑事は犯人を逮捕することができたのだが、これによって単調な生活から抜け出すチャンスを失う女性だけがあとに残った。――
冒頭のタイトルを出すまでをやや長めに引っぱったように、物語は犯人がいつ現れるのかが鍵となる。この興味だけで、物語を引っぱっていかねばならないのだが、それを女性の生活を丹念に描くという別の要素を取り入れたのが面白い。逃亡した犯人を捕まえようとする刑事たちの物語と、家のなかで抑圧され退屈な日常を送る女性の物語の二つを交差させる。この女性の物語が、若い刑事にまた大きな決断を促すことになるのだ。こう考えると、この物語は実は結婚を巡る物語であったことが見えてくる。すなわち、若い刑事が、上司の奥さんから薦められている人と結婚するか(見合い結婚?)、それとも愛する人と結婚するか(恋愛結婚)、そのどちらが幸福なのかを問う物語であったのである。
若い刑事が、張込みの際、終始部屋の縁、廊下の縁に坐っていたことに注目しよう。松本清張野村芳太郎作品では、文字通りオン・ザ・エッジつまり崖っぷちが重要な場所となっている。崖っぷちに立つ人は、常に追いつめられ、重大な決断を迫られることになるのである。(そして「荒れた海」が「死」や「殺意」と繋がる。)ということを思い出せば、この若い刑事が終始部屋や廊下の縁に坐っていることは当然のことであった。彼は、ちょうど結婚問題で重大な決断を迫られていたからだ。果たして彼が、見合いか恋愛か、どちらを選ぶのか。
その時、彼が見張りを続けている女性に強い関心を持ったのも自然の成り行きであろう。彼女もまた、重大な決断に迫られていた。おそらく見合いのような形で結婚した彼女は、平凡な日常を送っている。そこへ、昔の恋人(つまり犯人)から手紙が来た。もしかしたら、彼との再会によって、単調で生気のない生活から脱出できるかもしれない。家を飛び出すチャンスだ。そして、彼女は決断を下す。恋愛に、自分の今後の人生を賭けたのだ。その情熱的な決断に、張込みをしていた若い刑事が共感することになるだろう。
こうして見てくるとはっきりするように、明らかに物語は「見合い/恋愛」を対立させ、最終的に恋愛のほうに肩入れしている。恋愛に基づいた結婚こそ、幸福である。それが、この物語を支えているわけなのだ。女が、犯人との逃避に失敗したのは、かつてこの犯人との恋愛を選択しなかったことと、また夫や子どもを捨てて「家」を出ようとしたことの二つの罪から罰せられたのだと言えるのかもしれない。若い刑事は、女の失敗(恋愛を選ばず見合い結婚をしたこと)を見て、最終的に恋愛を選択した。そして、恋愛の讃美によって物語は幕を閉じるのである。