ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション2』

ヴァルター・ベンヤミン(浅井健二郎編訳)『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』ちくま学芸文庫、1996年4月
ベンヤミンは苦手で、これまで何度か読もうとチャレンジしてきたが、いつも数ページ読んだところで挫折してきた。しかし、いつまでもこんなことではダメだと思い、きょうは我慢してひたすら読み続ける。
ベンヤミンの思想を汲み取るのは、一度の通読ぐらいでは無理なのだろうけど、こうしていくつかの文章を読んでみると、けっこう面白い内容で、これまで読んでこなかったことが非常に悔やまれた。なんでも通読してみるものだなとあらためて思う。
私が今回興味を持ったのは、「蔵書の荷解きをする」「物語作者」「長篇小説の危機」「翻訳者の使命」「エードゥアルト・フックス――蒐集家と歴史家」といったところ。
「蔵書の荷解きをする」は、「エードゥアルト・フックス」論に関連するもので、ともに「蒐集家」をテーマにしている。思えば、ベンヤミン自身が「蒐集家」のような人なので、このテーマについてベンヤミンが語るのはまさにうってつけ。モノを集めるということ、コレクションの思想というものに興味を持つ。このテーマは、至極現代社会に通じるところがあるではないか!
コレクションに関連して、「物語作者」も興味深い。この中の一節で、ベンヤミンが面白いことを書いている。
新聞によって、新たに伝達の一形式が誕生したことを我々は認めなければならないとベンヤミンは言う。この新しい伝達形式は、物語にとって長編小説以上に「脅威的」な存在となるであろうと。この新しい伝達の形式とは何か――それは「情報」である。(p.294)
こう書くと、けっこうこの文章に興味を持つ人が多いのではないだろうか。「情報」に関心を向けているベンヤミンの先見性に注意してもよいのだろう。
いまや、人々は遠くからの「知らせ」よりも身近な事柄に判断の拠り所を与えてくれる「情報」に耳を傾けるという事態が現れたこと。かつて遠くからもたらされる「知らせ」にはそれだけで「権威」があり、それゆえに真偽のチェックは必要なかった。しかし「情報」は即座の検証可能性を要求する。したがって、「それ自体で理解できる」ものとして現れることが重要だという。「情報」は「知らせ」に対して、より正確であるというわけではない。「知らせ」がしばしば奇蹟を好んで借りてきたのに対し、「情報」は「もっともらしく響くことが不可欠」(p.295)であるという。したがって、「情報」は物語とは相容れないことが理解できるであろう。
こうした議論は、現代文学現代社会(ネット社会?)を考える際に重要なヒントになるのではないか。

ベンヤミン・コレクション〈2〉エッセイの思想 (ちくま学芸文庫)

ベンヤミン・コレクション〈2〉エッセイの思想 (ちくま学芸文庫)