難波江和英・内田樹『現代思想のパフォーマンス』

◆難波江和英・内田樹現代思想のパフォーマンス』光文社新書、2004年11月
現代思想のリーダーとして最適!。この本は、欧米などによくある思想書のアンソロジーを目指したものだ。取り上げられた思想家は、ソシュール(難波江)、ロラン・バルト(内田)、フーコー(難波江)、レヴィ=ストロース(内田)、ジャック・ラカン(内田)、サイード(難波江)の6人である。もちろん、著者らも自覚してあるように、これだけではとても現代思想を覆いきれないし、フランス系に偏ったものだ。しかし、新書一冊にあれもこれも望むのは土台無理なことだ。それよりも、この本で著者らが目指したことのほうが大切だと思う。すなわち、これらの思想家の思想を「ツール」として、どうやって使ったらよいのか、その「パフォーマンス」の一例を示したことだ。
この本で論じられている6人の思想家は、日本でもすでに何年も前から知られており、当然入門書や解説書の類も多い。したがって、すでにこれらの思想に触れている人などは、この本を読んでもそれほど新鮮な刺激は受けないだろう。この本は、まだ思想に触れたことがないか、少しは知っているが、それをどうやって使うのかが分からない人向けの本だと思う。
思想を理解することは難しい。この中の一人の思想家を理解しようと思ったら、けっこう大変なことだ。一方で、新しい思想はつぎつぎと入ってくる。私は、思想書を読むのが苦手なので、思想を充分に理解できないし、ましてその思想をどの場面で、どのように用いたら効果的なのか分からない。だから、こうした教科書のような本があると助かる。とりあえずのパースペクティブが得られるからだ。
また、思想の「使い方」を知ることも重要だと思う。私の経験にすぎないけれど、思想の内容はなんとなく分かるが、それをどこにどうやって使ったらよいのかが分からないということがあった。フーコーの本を苦労して読んだ。だけど、私は現在までその経験を有効に生かしたことがない。これは、せっかく苦労して思想を理解しても、宝の持ち腐れではないか!。なんてもったいないことだろう。したがって、「この場面で、この思想を使う!」ということを知っておくのも必要なことだと思う。
あとがきで、内田氏は「部品の勉強はいいから、まず運転してごらん」と学生に向かって言う、と書いている。パソコンの動く仕組みもよく知らない、テレビがどうして映るのかもよく分からないが、それでも日々パソコンを使い、テレビを見ている。道具は、使っている内に「何をする」ための道具なのか、自ずと分かってくるだろう、と。
たしかに使ってみて理解できることもあるのだろうなあと思う。これもまた身体論の一つなのかもしれない。思想を頭ではなく身体として用いるために、本書はそのガイド役となるだろう。
あと、この本の内田氏の論はどれも面白いものだが、とくにコミュニケーションの観点から思想家を読み解いているように思える。情報(意味)のやりとりではなく、コミュニケーションにまつわるメタ・メッセージに注目している。こうしたコミュニケーション理論は、たとえば北田暁大のメディア論に通じるところである。内田氏と北田氏が似たような方向に向かっているのではないかと思う。

現代思想のパフォーマンス (光文社新書)

現代思想のパフォーマンス (光文社新書)