永井均『転校生とブラック・ジャック』

永井均『転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー』岩波書店、2001年6月
本書が問題としているのは次のようなことだと思う。

ぼくは自分であろうと他人であろうと、一般に人がふつうの意味で痛かったり悲しかったりすること自体は、まったく自明のことだと思う。問題はむしろ、その中でひとりだけ、リアルに、直接的に、つまり端的に痛かったり悲しかったりするやつがいるということにあるんじゃないだろうか。そういう例外的なやつっていうのはいったいなんだろう。どうしてそんなやつがいるんだろうか。これが問題なんだ。(p.50−51)

他人の痛みなんて分からないとかいう独我論とは、まったく話がちがう。なんで、自由に身体を動かせて、なぜか痛みを感じたり、そこから世界が見えたりするものがたったひとつだけある。そういう「端的」な事実がある。
こういうときに、「ぼくにとってはぼくだけど、他の人にとってはその人だけ」と考えてしまうが、問題はそういうことではないという。この「とっては」が成立する前の「端的に」の観点から考え始めることに固執すること。それが哲学をするということだ。ここでは、「ぼくにとっては」の「ぼく」がどうして存在しているのか。この問題にこだわるのだ。
なんでなんだろう?。気になる問題だ。こういう問題を考えて、それを文学の研究に何か活かせないだろうか。というか、逆か。文学を利用しながら、この問題を考えてみるほうがよいのかもしれない。