永井均『倫理とは何か』

永井均『倫理とは何か−猫のアインジヒトの挑戦−』産業図書、2003年1月
次のような文章を読むと、永井均に憧れる。こんなことを言ってみたい。

哲学の伝統によって確立している問いは無視して、つまり哲学は無視して、自分が疑問に思っていることを考え抜くことだ。それに尽きるよ。哲学はそのために利用すべきものだ。そして逆説的だけど、それが哲学なんだ。この本だってそうなっているさ。だから、教科書のくせに各思想家の紹介も不正確だ。自分の問いに利用しやすいように変形させているからだ。それでいいのさ。そうであるべきなのさ。(p.233)

自分の問題を解くだけのために、他のものを利用する。自分の問題だけを考えていればいい、学問なんてどうでもいいじゃないかと。こういうことを堂々と言えて、そして堂々と実行できるのはうらやましい。
本書は、M先生の講義の章と猫のアインジヒトの哲学セミナーの章が交互に出てくる。M先生の倫理学講義は、倫理学という学問の基礎知識を説明したものだ。いっぽうアインジヒトの語る哲学は、引用した文章そのままに、まさしく自分の問題を自分で考え抜き、他者は徹底して自分が善いという状態へと至るために利用するだけ、というスタイルを取っている。こうして、まったく異なる世界認識の二人が、「倫理とはなにか」を巡って語っているのだ。そして、アインジヒトの語る哲学が、永井均の著作に見られる哲学だと思う。
アインジヒトの哲学は、非常に驚くべきものだ。アインジヒトは言う「悪事はただ黙ってせざるをえない」と。これが、「なぜ悪いことをしてはいけないか?」に対する答えなのだというのだ。どういうことか。アインジヒトによれば、「悪を悪の方向で正当化する言説などありえない」のだ。要するに言語、そのものの持つ性質によって、悪は語り得ない。言葉というものは、「本質的に、他者――つまり他人か異時点の自分――と語り合うためのもの」であり、これが「道徳的善」の意味でもある。言葉で、語る時点で「道徳的善」になってしまっているのだから、「悪を悪の方向で正当化する言説などありえない」というわけなのだ。
こういう結論が出て、しかもアインジヒトの議論は、けっこう説得力があるのだ。こういう本を読んでしまうと、やっぱり永井均の本は面白いなあと思う。他の本も読みたくなるし、自分でそれこそ「哲学」がしたくなってしまうのだ。「永井均」中毒になりそうである。

倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦 (哲学教科書シリーズ)

倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦 (哲学教科書シリーズ)