ジャック・デリダ『ユリシーズ グラモフォン』

ジャック・デリダ(合田正人/中真生訳)『ユリシーズ グラモフォン』法政大学出版局、2001年6月
存在論的、郵便的』を読んだところだったので、少しは理解できるかなと思って読み始めたが、例の如くこの本でデリダが何をしようとしていたのかが分からなかった。ま、いいか。
そんななかで、気になる箇所を発見。ちょっと引用してみる。

「アクション」――それは言語行為、いやむしろ後で見るように、エクリチュールの行為なのだが――のなかのこの二重性、この内的戦争こそが出来事、それも真実においてあったところの出来事そのもの[he war]なのだ。つまりは戦争であり、戦争の本質なのだ。(p.49)

「アクション」――この言葉から想起するのは、もちろんあの作品すなわち阿部和重の「ABC戦争」だ。何か関係があるのか、あるいは直接的な関係がなくても「アクション」という語を手掛かりに、デリダと「ABC戦争」を強引に接続させて読解してみるのも面白いのではないか。デリダの本を読みながら思ったのは、誤読すること、誤読に可能性を見出すことが重要なのだろうということだ。誤読の哲学、これがデリダなんじゃないか、そんな妄想を抱いてしまう。
デリダから阿部和重を読むのは、誤読でもなんでもないのだが(阿部和重の作品のどれかに「デリダ」の名があったはず)、阿部和重が作品中で先行する作品に自己を投影した読みを披露するように、文学や哲学の書を誤読してみたいものだ。