東浩紀『存在論的、郵便的』

東浩紀存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』新潮社、1998年10月
数年ぶりに読んでみた。今読んでも充分面白かった。しかし、第3章と第4章が、まだまだよく理解できない。苦手な箇所。また時間を置いてから、読み直さないとダメだ。
哲学や思想、ましてデリダ研究の専門家ではないので、そのあたりの現在の状況を知らないが、どうなのだろう?やはりこの本が取り上げられ分析(あるいは転移?)の対象となっているデリダのテクスト、『葉書』に代表される時期のデリダの研究は、いまだにそれほど行われていないのだろうか?最近のデリダ関連といえば、どうも「正義」論あたりでしばしば見かけるのだけど。ということは、デリダが「政治」に言及するようになったころのテクストが関心の的になっていないだろうか。たとえば『法の力』とか。仲正氏も、どちらかと言うと、「政治」に介入していったデリダに関心がありそうだ。
70年代のデリダの奇妙な複雑なテクストは、未だに読解が困難で研究する人が少ないのだろうか?

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて