夏目房之介『マンガ学への挑戦 進化する批評地図』

夏目房之介マンガ学への挑戦 進化する批評地図』NTT出版、2004年10月
一気に読んでしまった。とりあえず、先に記したとおり、漱石に関しては再考の余地がある。これは、マンガ学、マンガ批評を中心テーマとする本書では、かならずしも重要な点ではないが、でも近代の芸術観を漱石を代表させて、それを元に論が成り立っているので、見逃せない欠点だと私は思う。
本書は、現時点で考えられるだけのマンガ批評の行方を示す試みである。先に出版された『マンガの深読み、大人読み』と同様な考えが示されている。これまで夏目氏が手がけてきた「表現論」が、作者よりであったこと、あるいは広義に「私」語りの批評であったことを自己批判する。そのうえで、新たな視点として受容論というかマンガ市場論が必要であることを再度訴えている。その延長上で、社会学的な批評を取り入れていこうとする姿勢が見える。マンガ表現論で、ある意味、確固とした地位を築いた夏目氏が、それを崩してまでも新たな批評方法を模索しているという点において、これは重要な本だとは思う。
が、しかし、このような批評方法の整理などは、やはり若手の大学院生あたりに任せて、もっと骨太な評論を行って欲しいと思う。前にも述べたように、以前の表現論に欠点があったとしても、その欠点を修正して、もっと表現論を洗練させて欲しいのだ。こう言ってはおかしいのかもしれないが、夏目氏にはマンガ批評における蓮實重彦になってくれればいいのに、と思う。若手研究者に「マンガが読めてない」と一喝するような存在になってほしいが、たぶんそれは無理か…。
あと、気になるのは、夏目氏は、以前の表現論で自分はついマンガの表現を日本の「伝統」文化と繋げて、日本固有文化論にしてしまったと自己批判して、その反省に基づいて異文化論、社会学を取り入れようとしている。それは良いのだが、以前の夏目氏がマンガ=日本固有文化という文化本質論であったとしたら、今度はマンガというジャンルの固有性、本質を研究しようとしているのではないかと感じた。マンガを「日本」に結びつけない、という点は理解できる。が、結局、夏目氏は形を変えた本質論をやろうとしているのではないか?。たしかに、マンガをさまざまな要素の「混交」する場として捉えようとすることを論じていたので、私の勘違いかもしれない。私の誤読なら、それで良いのだが。