三島由紀夫『作家論』

三島由紀夫『作家論』中公文庫、1974年6月
三島が批評の方法を書いていた。これがなかなか面白い方法なので、参考にしたい。

 人間を知ってから作品を読むときの、たえず人間の影を作品に投影させて読む習慣を免れるのに、一等いい方法は、作者を以て作品を補うことをせずに、むしろ逆に、警視庁がモンタージュ写真を作るあのやり方で、作者の人間の可視的な特徴を、一つ一つ、個々別々に作品の特徴に結びつけてしまうことなのだ。作者がもし脂肪過多であったら、それを作品の脂肪過多と結びつけ、作者がもし吃りであったら作品の吃りと、作者の言葉に或る地方の方言が残っていたとしたら作品の方言的要素と結びつける。それは作品を欠点や美点にわかつ価値評価の余地をまず取払い、作品をまず、作者自身と同じ公平な宿命の下に置くことであり、こういう手続きを経て、はじめて作品のよしあしを占う立場に立つことができるのだ。しかも現実の人物とモンタージュ写真との相違のように、個別的な特徴の総合は、現実の人間とは似て非なる全体的印象を形づくるから、われわれは安心して、それを作品の印象と呼ぶことができるのである。(p.128)

三島の評論は、テクストを緻密に読み込むタイプだ。単なる印象論ではないのがよい。

 刑事が被疑者を扱うように、当初から冷たい猜疑の目で作家を扱う作家論が、いつも犀利な批評を成就するとは限らない。義務的に読まされる場合は別として、私は虫の好かぬ作家のものは読まぬし、虫の好く作家のものは読む。すでに虫の好いているのであるから、作品のほうも温かい胸をひらいてくれる。そこへ一旦飛び込んで、作家の案内に委せて、無私の態度で作中を散歩したあとでなければ、そもそも文学批評というものは成立たぬ、と私は信ずるものだ。ましてイデオロギー批評などは論外である。非政治主義を装った、手のこんだ政治主義的批評は数多いのである。(p.216)

イデオロギー批評などは論外である」という言葉は同感。

作家論 (中公文庫)

作家論 (中公文庫)