買ってはいけない!

宮台真司『絶望 断念 福音 映画――「社会」から「世界」への架け橋』メディアファクトリー
高橋源一郎ジョン・レノン対火星人講談社文芸文庫
ほんとに、こんな批評でいいのか!と、ちょっと憤慨しているのが、この『絶望 断念 福音 映画』だ。雑誌の連載をまとめた本なので、ボリュームはあるのだけど、どの回も似たような内容。というか、自分の社会学理論を語るために映画や小説などを使っているだけで、そもそも映画など見なくても書ける本なのだ。こんな批評では、「映画を見ていない」と責められるぞ。それとも、「社会学者」あるいは「システム論者」は「動く絵」を嫌っているわけなのか。
ここでは、映画についてはあらすじを述べた後、<脱社会的>だの<世界>や<社会>、<サイファ>、<システム理論>といった宮台用語を駆使して、自己満足しているだけ。映画そのものを分析、あるいは批評などちっともしていない。要は、取り上げた映画が宮台専用理論と合致するかしないかが問われているだけだ。宮台理論に合致していれば、無条件で誉めまくり。合致していなければ、「絶望が足りない」などと訳の分からないことを言うだけ。そもそも宮台独自の用語が意味不明。というか、ほとんど意味なし。こういう用語は、たとえば社会学の世界で、あるいは論壇で、どれぐらいの効果をもたらすだろう?もちろん、アカデミックな世界では当然無視されているのだろうなあ。勝手に造語して、受けを狙っても無駄なのではないか、と思う。結局、この本は宮台信者のみにだけ語られており、いわば内輪向けのジャーゴンに満ちた批評以外のなにものでもない。信仰のない人が読んでも、何の役にも立たない。まったく読む価値や買う価値が無い本だと断言できる。
ユートピア世界のような宮台ワールドができちゃっているわけだ。そこには、<社会>を生きることに絶望や断念した人がいる。いわば<世界>を感じてしまった人たちだ。宮台自身が、そうらしい。で、<世界>を感じられない人を勝手に憐れんでいる。余計なお世話だ、と言いたい。ほんとにひどい批評だ。勝手に「小林秀雄」でもやっていろ、という感じ。(いや、これは小林秀雄に失礼かも。まだ小林秀雄のほうが面白い。)
この本は絶対に買ってはいけない。間違って買ってしまった場合は、読んではいけない。
話は変わって、高橋源一郎の『ジョン・レノン対火星人』は良い。面白い。どう面白いのか、説明したいが、言葉にするのは難しい。でも、読んでいるときは、本当に楽しかったのだ。

『ギャング』は、ある意味で、「文学」に満ちた作品だった。だが、ぼくは、ほんとうは、「文学」など一かけらもない作品で、つまり『戦争』でデビューしたかったのだ。(p.212)

と著者あとがきで述べている。
「文学」から遠く離れて、といった感じなのだろうか。私は、逆にこれが「文学」なのか、いやこれでも「文学」なのだ、ということを感じて仕方がなかった。この小説は「文学」以外になんだ、というのだろう?やっぱり「文学」でしかあり得ないのだろう。
と書きながら、では「文学」って何?という疑問を自分にぶつけざるを得ないのだけど、うーん、「文学」って一体何なのだろう。
高橋源一郎の小説や評論などを読むたびに、この人の「文学」って何なのだろうと思う。もっと、いろんな作品を読んで考えてみたい。