『好き好き大好き超愛してる。』を考える

午前中、bk1用にこの本の書評を書いてみる。心にもないことを書いて、べた褒めしてみた。けけけっ。
それはともかくとして、もうちょっとこの小説についてつっこんで考えてみたい。
まず、肺に虫(ASMAという名前)が入り込むという病気になった女性のエピソード。これは、のちに出てくる柿緒のエピソードに似ているので、柿緒の恋人の小説家の創作なのかもしれない。小説内小説というものか。
肺に虫が入り込み、この虫が生殖活動して増殖していく、ということから、この虫は癌のメタファーだと考えて良い。不治の病として癌というイメージは現代的なものだが、もともと病の文学の系譜には「結核」というものがあることは有名だ。
結核といえば肺なので、その点からしても『好き好き大好き…』は、病の文学に連なる作品である。肺の病気といえば、世界で一番有名なのは、もしかするとボリス・ヴィアンの『うたかの日々』かもしれないが。
ともかく、『好き好き大好き…』は癌のメタファーを用いているにせよ、「結核」の文学のパターンをもっている、ということは指摘できる。この肺に入り込んだ虫が、光を放つ、という場面は、この女性に「聖」性を感じさせ、それがある意味「美」と表現しても良いだろう。結核の文学においても、結核が患者の身体を白っぽく見せ、それが「美」というかロマンチシズムを喚起させたことは言うまでもない。このような点においても、『好き好き大好き…』は、近代文学における「病」のパターンを踏襲している作品だ、と言えるだろう。
次に考えるとすると、「病」と「恋愛」というテーマについてだろう。余力が出来たら、このテーマについて考えてみたい。