中村健之介『永遠のドストエフスキー 病という才能』

◆中村健之介『永遠のドストエフスキー 病という才能』中公新書、2004年7月
著者は、「まえがき」でコンスタンチン・モチューリスキーというソルボンヌでロシア文学を講義した亡命ロシア人の次の言葉を引いている。「ドストエフスキーの人生と創作活動は切り離せない。ドストエフスキーは<文学のなかで生きた>。……彼は自分のすべての作品のなかで自分という人間の謎を解こうとつとめ、わが身で体験したことだけを語った」
この言葉に導かれるように、著者もまたドストエフスキーの作品を彼の人生と重ねながら読み解いていく。その時、鍵となるのがサブタイトルにもあるように「病」である。著者は言う、「彼(ドストエフスキー)にとって病気はまさしくわが重大事であり、「考える価値がある」こと」であったのだと(p.5)。
知られるように、ドストエフスキーにはてんかんという病気があったし、ほかにも睡眠障害昼夜逆転した生活であるとか、幻聴が聞こえたり、要するに現代で言うところの統合失調症のような「心の病」をもっていたらしい。極度の心配性だったり、激しい被害妄想で周囲の人たちを困らせていたようだ。
だけど、著者によると、ドストエフスキーはこうした自分の「病」をけしって恥じたり、貶めたりすることはなかった。むしろ、この「病」こそが創作活動のエネルギーとなっていたようだ。もし、こうした「病」がなかったら、ドストエフスキーという偉大な作家は生れていなかったのかも知れない。そんなことを考えてしまう。
だが、もう一つドストエフスキーの人生において重要だったのは、ドストエフスキーが45歳の時に結婚したその時19歳の妻、アンナ・グリゴーリエヴナの存在だろう。速記者である彼女は、ドストエフスキーの執筆にかなり協力しているのはもちろん、またドストエフスキーの困った「病」を彼の本質として認めていたことも重要なことだったと思う。ドストエフスキーは、過度の被害妄想で、アンナにひどい言いがかりをたびたびしているが、彼女は妙に冷静にこの夫の様子を見ているのだ。けっして、ドストエフスキーに巻き込まれることなく、対応できていたことはドストエフスキーにとっても良かったのだろうと思う。ドストエフスキーにとって、過度の心配性から生じる妄想は、やはり創作のエネルギーであったのだから。

最初に言ったように仮想現実においてこそ生き生きと感じ語る才能にとって、妄想は苦しいけれども創作の泉であった。それがあればドストエフスキーはいくらでも書くことができる。病気で書けないのではなく、病気によって書く。小説『分身』は、病気と組んだことばの勝利なのである。そして病気は時代や国境をこえて生きる。『分身』は、書かれてから一六〇年経ったいまも新鮮である。(p.177)

作家の人生と作品を素朴に重ねて読解するという本書の方法は、古くさい方法かもしれないが、テクスト論の嵐が過ぎた今では逆に新鮮は読み方にも思える。この本で、ドストエフスキーの思想がどのような体験から生み出され、それがいかに作品へと昇華していったのか、よく理解できた。難点は、最後の第5章が「病」というテーマからやや外れてしまい、「反ユダヤ主義」についての論になってしまったこと、それが少し難解であったことぐらいだろうか。
やっぱりドストエフスキー、そして彼の作品は面白いなあと思う。何年たっても魅力が失われないところがすごい。