一人の人間が出来ること

ムッシュー・テストではないけれど、いったい一人の人間で、どれほどのことができるのかと考えたりする。で、絶望的な気分になる…。
本を読む、ということにしても、こう日々たくさんの本が出版されていたら、とてものんびり本なんて読んでいられやしない。さすがに日々出版される世界中の本を全て読もうなんて、真面目に考えているわけではない。だけど……。
たとえば、一応私は日本の近代文学を専門に研究していて、ゆくゆくは専門家になりたいなあと願っている。で、そのためにできるだけたくさん文学作品を読もうと思う。
しかしながら、明治や大正の文学作品を読むのですら、厖大な数の作品があり、簡単に読み切れるわけではない。その一方で、やっぱり文学の研究者としては、今現在の文学作品も読んでおきたい。文学研究者なのに、話題の小説も読んでいないのか、と思われるのもなんとなくイヤなので、それらもがんばって読む。明治の文学を読んで、現代の文学を読んで…。なかなか読みきれない。
それに文学は日本だけではない、海外にもある。フランス文学、イギリス文学、ドイツ文学、中国文学などなど、日本語に訳されているものでも厖大な数がある。それらも読みたい。
それに、文学以外にも哲学にも思想にも社会学にも関心がある、となると読む本、読みたい本は次々と現れてきて、少しも減らない。読んでも読んでも読んでも、これでは時間も体力もないではないか!と思う。
ああ、いったい一人の人間ができることなんて、いったいどれぐらいあるのだろう!
一人の人間では、読みたい本のほんのわずかしか読めないのだろうか…。そう思うと絶望的な気分になる。
量より質だ、ということも聞く。たしかに、その通りだ。だけど、実際に「読みたい」という欲望は、読書の量や質の問題ではないのだ。