分かりやすいのが欠点か

◆『天国と地獄』監督:黒澤明/1963年/143分
『天国と地獄』というタイトル通り、裕福な家と貧しい家、被害者と犯罪者、追う者と追われる者など、きれいに二項対立となっている。構造が分かりやすいので、物語の内容も分かりやすい。しかし、この分かりやすいというのが、この映画の欠点でもあると思う。というかこの映画に限らず、黒澤明の欠点なのかもしれないが、犯罪に分かりやすい動機があるということだ。この映画ならば、貧しさから身代金誘拐という犯罪へ至る、という分かりやすい動機がある。あらゆる行為に、理解しやすい意味がある、というのが、おそらく黒澤映画なのかもしれない。
とりあえず、いくつか気がついたことのメモ。
犯行の動機が分かりやすいので、拘置所における最後の死刑執行前の犯人との面会の場面は、ちょっと迫力に欠ける。話は飛んでしまうが、拘置所などで、ガラス越し(あるいは金網越しに)犯人と面会するというシーンは、数々の映画でたくさんの物語を供給してきた。やはり、触れようと思えば触れられる距離に二人はいるのに、それが決定的に不可能であることを、視覚的に明瞭に表象することができるので、映画史のなかで好まれてきた語りの方法の一つになったのだろうと思う。
この映画では、犯人の医学生三船敏郎演じる会社の重役との面会は、二つの階級が容易に分かり合えないことを、最後に二人の間にシャッターが降りてきて分断されることで表象することになる。
表象ということで気になる場面といえば、犯人が麻薬を手に入れるために貧民窟を訪れるところ。中毒者がゴロゴロしていて、とても危険な様相を呈しているのだが、これが実はすごく既視感のある映像なのだ。どうも壁には、ハングル文字などが書かれてあったりして、「アジア」っぽい雰囲気を出していた。こういう雰囲気は、今の映画でもすぐに見つかるし、変わらないなあと。