漱石そしてルーマン

柄谷行人漱石論集成』平凡社ライブラリー
大岡昇平『小説家夏目漱石筑摩書房
高橋徹『意味の歴史社会学世界思想社
◆小松丈晃『リスク論のルーマン勁草書房
別に、この二つを繋げようと思っているのではなくて、たまたま漱石関係の本とルーマン関係の本を借りてしまった。
柄谷行人に関しては、将来柄谷論が書けるぐらいに知識を今のうちに仕入れておこうと思っている。柄谷の批評を批評しつつ、何か文章が書ければ良いなあと。今、私の中では柄谷と蓮實重彦の二人を乗り越えるべき壁として、目標点にしている。この二人の著作はけっこう読んでいるし、それなりに影響を受けている。しかし、一方的に受け取ってばかりでは自分のためにならない。好きな批評家ではあるが、とにかく批評的に読み込むことで、自分の思考の糧としていきたいと考えている。
世界には、乗り越えるべき批評家、思想家が他にもたしかにいる。本当は、もっと大きな壁を作るべきなのかもしれないが、それはまた次の段階で取り組めば良いだろう。
それに、この二人はともに漱石論を書いていることが私にとっては大きな要素だ。結局、なんだかんだ言っても、日本近代文学を研究し始めた以上は、「漱石」といつかは対決しなくては、と勝手に思っている。「漱石」が有名だから、偉大な作家だから、という理由ではなく、少なくとも日本語の「文学」を考えるときに、漱石の作品や文学論は役立つだろう。「文学」とは何か、「小説」の言葉とは何か、文学を研究対象にした以上は、このような問題を理論的に突き詰めていかないといけない。
実証的に個別の作品を論じる傾向が昨今の研究では多く、大きな「理論」は嫌われる傾向にはある。個別の作品を緻密に解釈することも重要な研究だ。だけど、それだけに留まらず、最終的には「文学」とはこういうものではないか、と言えるようになりたいものだ。漱石という人は、まさしく「文学」とは何か、という大きな「理論」を考えていたはずである。したがって、「文学」の「理論」を考えるとき、漱石から出発するのはある意味、スタンダードな道かもしれない。
さて、ルーマンのほうはというと、こちらは全く知識がない。なので、ルーマンに関する本をいくつか読んでみて、もし面白いものに出会ったら、ルーマンの著作にまで手を出してみようかなあと思う。ルーマンってどんな感じなのか、とりあえず知ることから始めたい。