「ポケモン」に対する評価が高すぎるのでは?

◆吉永和加『感情から他者へ』萌書房
中沢新一『ポケットの中の野生』新潮文庫
『感情から他者へ』、「情感性」による他者把握に関する研究書。フッサールの志向性による他者把握への反論からでてきた「情感性」をキーとした他者論がサルトル、シェーラーそしてアンリによって一応の到達点に達する。で、最終章で、ルソーを取り上げ、情感性による他者把握の可能性と限界を考察。学術書なので、派手さはないけれど、テクストの読解は詳細だし、文章も明快で読めば分かるという感じ。何か応用が出来ると面白い理論になりそう。
『ポケットの中の野生』は、一種のカルチュラル・スタディーズと言ってもよいのかもしれない。いや、民俗学か?。ポケモンを分析するというより、ポケモンを題材に現代日本における「野生の思考」を語るといったところか。

たしかにこのゲームもひとつの商品にすぎないが、その商品を自分のものにしたとたんに、子どもたちはそれを「カスタマイズ」しはじめた。たいていの大人たちがやっているように、レディメードの製品をメーカーの指定通りに使うのではなく、ひとりひとりがそこにユニークな「ブリコラージュ」の工夫を凝らしたのである。(p.144)

ここでは、「カスタマイズ」とか「ブリコラージュ」というのは、たとえば「奪(流)用化」とかいうものと置き換えることができるかなあと。合理的な近代によって死滅させられるのではと思われるこうした「野生の思考」が、いやまだこのポケモンで遊ぶ子どもたちの中に残っているのだ、残っているだけではなく、それはますます旺盛な生命力をもっているようだ、というのが結論。ちょっと、ポケモンに思い入れを入れすぎかなあ、という印象を持つ。あと、もう少し、子どもたちがポケモンで遊ぶことの「政治」性について言及すべきだったか。