他者と出会う

なかなか自分のなかで考えがまとまらないけど、気になっていることがある。それは、「他者」と出会うということについてだ。
気になって考えているということというのは、何か考える時にできるだけ自分と異質な考えに自分をぶつけてみると良い、異質な分だけ、何か新しい考えが生まれるといった、弁証法チックなことを述べる人がいる。blogを読んでいても、似たようなことを述べている人がいて、こういう方法というのは、けっこう正論なんだなあと思った。
私は、こういう自分とは異質なものを「他者」と読んでしま。まあ、名称は何でも良いのだけど。
私も、自分の殻を打ち破る方法として、できるだけ異質なものと自分とぶつけてみるのがよい、という考えには賛成だ。
しかし、私は臆病なので、実際に自分と異質な考えに出会うと、きっと恐怖感を感じてパニックになるだろうなあと思う。で、動揺すると何をするかというと、自分の手持ちのパターンに当てはめてつまりラベリングというかレッテルを貼って、自分の内側に取りこんで勝手に納得するだけだろう。自分の予想もしない考えを提示され、それが私には理解出来ないとなると、逃げ出すのが落ちだ。私には、そのぶつかり合いを辛抱強く受ける、ということは出来ないと思う。
自分が出来ないから、他の人も出来ないだろう、ということを言いたいのではない。私自身を分析してみた結果を述べたに過ぎない。
ところで、最近がっかりしたのは、考えるときには自分と異質なものとぶつけてみるのがよい、と書いていながら、「他者」に実際に出会ったとき、たとえば「女」だから「子ども」だから、「○○マニア」だから、などとレッテルを貼って、異質な考えを非難しているのを拝見したことだ。結局、偉そうなことを言っていても、こうなるのかと。
というわけで、こうした経験を何とか自分の弱点を克服することに使えないかとあれこれ考えている。異質な考えと出会ったとき、いかにキレずにねばり強く思考を持続させるか。私の永遠の課題でもある。