「おたく」と「オタク」の差異

さて、昨日の日記の『「おたく」の精神史』についてのメモで、この本が大塚英志の個人史になっているということに注意したいと書きながら、そのままに放り投げてしまった。一応、その理由をここに書き加えておきたい。個人史であることに注意を向けたのは、つぎにような一節が書かれてあったからだ。

東浩紀に言わせればぼくは「オタク」をかたくなに「おたく」と書くことでそれを個人的な体験に限定し、普遍化を拒んでいる、ということになるらしい。(…)けれどもそれらを含めて、ぼくはこれらの文化に何か特権的な価値があるなどと気軽に謳う気分になれないのだ。ぼくは根源のところでそれらが不毛であるという感情を捨てることができないのだ。だから私的な体験に拘泥し続けるために「おたく」と記す。(p.320)

「おたく」とするか「オタク」と記すか、それによって「おたく/オタク」論の分岐点があるのは重要だ。この「おたく」の自意識をめぐる境界というのは、どのように意味づけたらよいのだろう?安易に世代論として説明するのはよくないのかもしれないけれど、とりあえずこれは「おたく」の第一世代と第二世代の自意識の差であると言えるのだろうか。
第一世代にとって、「おたく」であること、「おたく」の文化は、しょせんマーケットの戦略の一つ、物を売るための一つの価値でしかない。一方で、第二世代では、ある社会なり時代に登場せざる得なかった価値観というか文化というか。このあたりはよく分からないけれど、大塚英志にとって「おたく」とは私的な体験以外のなにものでもないということは覚えておこう。
大塚英志が「おたく」に拘る、つまり私的体験の叙述を行うのは、やはり彼の戦後民主主義とか憲法九条の問題と関連があるのだろう。特に戦後民主主義に拘るのは、それが大塚自身の私的体験だからだ。だから、もし今現在、戦後民主主義が機能不全の状態にあるのなら、それを鍛え直して、もう一度使えるものにしようじゃないか、ということなのだろう。要するに、使い物にならないから、別の物に変えてしまえということではなく、与えられた物にすぎないけれど、使えなくなったらそれを自分たちの手でもう一度再生させよう、とまあそんな感じなのだろう。