竹内洋『丸山眞男の時代』

竹内洋丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』中公新書、2005年11月
昨日に引き続いて、竹内氏の本を読む。これもかなり面白い内容の本。『教養主義の没落』の続編と言えるので、併せて読むのがいいと思う。さらに、島泰三安田講堂』と比較して読むのもまた一興かもしれない。
本書は、丸山眞男論ではあるが、丸山の思想を読み解くというよりは、丸山のポジションを分析したものだといえる。丸山がなぜ戦後、かくも大きな影響を与えたのか。著者は、最後にこう結論した。「丸山は、大衆が知識人化への背伸びにつとめた大衆インテリの時代、活字ジャーナリズムがアカデミズムの力をもとに大衆インテリの媒体になった時代、そして法学部的知と文学部的知が交叉しえた時代、そうした時代の中で覇権をにぎることができたことがあらためて確認される」(p.316)
丸山は、在野知識人を嫌っていたことが触れられているが、その原点ともいえるのが、戦前に大学人、とくに東大の法学部を標的に、つぎつぎに糾弾を行っていた「蓑田胸喜」の存在だ。丸山の研究は、ある意味、蓑田的なるものを必死に解き明かすことにあったとも言えるのかもしれない。蓑田の存在は、丸山にとっては脅威であった。
この蓑田的なるものが、戦後にふたたびやってくる。それが全共闘だ。全共闘の大衆団交、つまり大学の教官を糾弾していく姿は、蓑田と機能的に等価であるという。丸山も全共闘の激しく糾弾されてしまうのだが、そこで蓑田的なるものが想起されただろうと。
丸山眞男蓑田胸喜。進歩的エリート知識人と、エリート知識人の場から排除された知識人の対立。大学院が大衆化した現代、こうした対立は、ふたたび問題になっても良さそうだが、もはやそうなりそうもない。

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)