ノートに関する一考察

授業が始まって一ヶ月。中国は、今、国慶節で、学校も来週の一週間はお休みだ。慣れない仕事で、疲れがピークに達していたので、この大型連休は非常にありがたい。国慶節の時期は、どこも人でいっぱいと聞くので、おとなしく部屋で休んでいようと思う。
それにしても、授業は難しい。学生の反応が芳しくない。授業をやっていて、学生が乗ってきていないなということがよく分かる。なんとかして手を打たないと、このままでは私にとっても、学生にとっても授業が苦痛な時間になるばかりだ。どうしたら、学生のやる気を引き出すことができるのか。連休のあいだに、よく考えなくてはいけない。
ところで、授業中の学生を見ていて気がつくのは、みんなノートを取らないということだ。ほとんどの学生は教科書しか持ってきていないし、ノートを持ってきている学生も、見てみるとノートの取り方があまり上手ではない。自分の学生時代を思い出すと、ノートを取るのは眠気覚ましためでもあったので、特に先生の話を聞く講義ではノートを取っていないと眠くなるだろうなと思う。なんでもいいから、ノートに書いてくれればいいのになあと思う。もちろん、外国語で行われている講義のノートを取るのは至難の業だと思うが、それでも挑戦だけはしてほしい。昔、同じ研究室の人で、ヨーロッパのほうに留学していた人がいたが、その人が言うに、あちらの学生は先生が話し始めると一斉にノートを取り始め、先生の話す言葉を漏らさず書いていたとか。だから、真似してノートを一生懸命取っていたという話を聞いたことがある。学生には、これぐらいの勢いが欲しいかなと(そのように学生をし向けるのが私の仕事だ)。
授業でノートの取り方が分からないのは、何も中国だけではなく日本の大学生も同様だと聞く。たしか、大学によっては、新入生に授業の受け方からノートの取り方まで、新学期のはじめに説明するとか。大学生になって、ノートが取れないというのもどうなのだろう。こんなことを言う私も、それほどノートの取り方はうまくない。というか下手な方だ。それでも、自分なりにノートの取り方を試行錯誤して、良い方法を見つけ出そうとはしている。そう、授業の受け方にしろ、ノートの取り方にしろ、人に教えてもらうというより、経験のなかで試行錯誤して自分にとって最適な方法を見つけていくものなのではないだろうか。もしかすると試行錯誤という体験が、学生に欠けているのではないか。
教えてもらったことをそつなくやりこなす能力も大切だが、失敗を繰り返しながら、あるいは他人の真似をしながら、徐々に自分の方法を見つけていく経験も重要だ。学生時代には、大いに試行錯誤をして自分の方法を見つけ出して欲しいものである。