関口安義『よみがえる芥川龍之介』

◆関口安義『よみがえる芥川龍之介日本放送出版協会、2006年6月
最新の芥川研究を取り入れて書かれている本書は非常に面白い。芥川というと、神経質で気むずかしい作家のイメージがあるが、本書を読むと実は友情にあつく、また旅行好きというアクティブな面を持った人物であったことがよく分かる。かわいらしいラブレターを書いていたりして、微笑ましい。著者は、「根っからの厭世家で、芸術のみを頼った芸術至上主義という研究者の貼り付けたレッテルは、剥がす必要がある」(p.164)と述べているが、たしかに再考の余地がありそうである。
著者は、芥川の作品の訳者であるジェイ・ルービンの「芥川はモダニストであるだけではなく、ポストモダンを開拓する作家ではないかと感じる」という言葉を引いているが、芥川のポストモダン的な一面は注目に値する。近代を突き詰めて考えた芥川には、近代の矛盾を鋭敏に感じ取っていた。
たとえば、芥川のプロレタリア文学に対する認識など興味深い。本書には、次のような芥川の文章が引用されている。

 唯僕の望むところはプロレタリアたるとブルジョアたるとを問わず、精神の自由を失はざることなり。敵のエゴイズムを看破すると共に、味方のエゴイズムをも看破することなり。こは何人も絶対的にはなし能はざるところなるべし。されど不可能なることにあらず。プロレタリアは悉く善玉、ブルジョアは悉く悪玉とせば、天下はまことに簡単なり。簡単なるには相違なけれど、――否、日本の文壇も自然主義の洗礼は受けし筈なり。(「階級文芸に対する私の態度」1923年2月)

このような分かりやすい二項対立批判は、最近でもよく言われていることだ。芥川また「僕等」は「階級」だけに拘束されているのではない、「僕等」はもっと複雑な存在であることを強調している。現代で通じるような芥川の認識は、当時は受け入れられず、逆にブルジョア作家として攻撃に対象となっていたことは不幸なことだったと思う。
本書で興味を引いたのは、芥川が関東大震災の際、例の自警団に参加していたということである。どうやら近所への手前、参加を要請され断り切れず、参加したようだ。しかし、芥川はそこで見た暴行を痛烈に批判していたことは重要である。著者は、「我我は互いに憐れまなければならぬ。況や殺戮を喜ぶなどは、――尤も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手軽である」という芥川の言葉を引いている。芥川はまた、震災後の東京の惨状を見に行き、目に留めようとしていた。芥川の社会的関心の高さをうかがわせる。書斎に閉じこもった単なる芸術至上主義者ではないのだ。