谷崎潤一郎『乱菊物語』

谷崎潤一郎乱菊物語』中公文庫、1995年6月
この作品は、昭和5年に発表されたものであるが、残念ながら未完である。「前編終り」とあり、次の展開が非常に気になるところで終わってしまっている。
佐伯彰一は、「大らかなロマネスクの誘惑」と題して、非常に熱くこの作品の解説を書いている。熱くなってしまう気持ちは、この作品の読了後であるなら、よく理解できる。この小説は、とんでもなく面白いのだ。この物語の雰囲気は、たとえて言うならば、ワイヤーアクションを多用するアジアを舞台にした最近の映画のようなものだと思う。
物語は、室町幕府の末頃が舞台。その頃、瀬戸内海の島々は、海賊たちの策源地となっていた。ここに明から、貿易商の張恵卿が「四角の黄金の函」をもってやってくる。この函のなかには、「羅綾の蚊帳」が入っているという。張は、これを「室君」のもとに届けるところなのだ。だが、張の船は幽霊船に襲われたのか、一夜にしてその消息を絶ってしまう。海賊どももつけねらっていた「黄金の函」は海中へ落ちていった。――
物語は、このようにして始まる。その後、物語は主君のために美女探しをする家臣の話があったり、「黄金の函」をめぐって大乱戦が起きたりと、物語はどんどん大きくなっていく。いったい谷崎はどんな結末を考えていたのだろうか。
解説によると、どうやらこの物語の続編のプランがあったそうである。晩年の谷崎には、三つのプランがあったという。一つは、この『乱菊物語』の後編、もう一つは、『武州公秘話』の続編、あと一つは上田秋成の『雨月物語』の口語訳である。

これらの三作、「いつでも書き出せるように、万事を整えておくように」と命ぜられた伊吹(*和子)さんは、『乱菊』の舞台となっている「瀬戸内海の室の津あたりを中心にした地図その他」の用意をされた由。ところが、その年の八月から、伊吹さんへの「口述」がいざ始められてみると、その内容は、三案のいずれでもなく、全く新構想の小説、『瘋癲老人日記』であった! (p.405、*は引用者による)

いきなり『瘋癲老人日記』が出来てしまったというのが非常に面白い。たしかに、谷崎の晩年の創作エネルギーはすごい。

乱菊物語 (中公文庫)

乱菊物語 (中公文庫)