蓮實重彦『反=日本語論』

蓮實重彦『反=日本語論』筑摩書房、1977年5月
再読。「日本語論」の批判だが、日本語にとどまらず、言語学そのものを批判することで、西欧の思考の源である「音声中心主義」批判へと向かう。デリダの仕事を受け継いだものだろう。書かれた当時のことはいざ知らず、現在の時点から読むと、他の蓮實重彦の著作に比べて、インパクトは足りないかなという印象を受ける。
「音声中心主義」を批判するといっても、だからといって「文字」が優れていると主張するわけではない。音声/文字といった二元論から遠く離れることが必要なのだ。本書で貫かれているのは、やはり「制度」批判なのだ。不自然なものを自然なものにみせる「制度」をどのようにやりすごすのか。ありそうにない「不自然」なものを「自然」であるかのように思わせる「制度」を外側から批判するのではなく、内側に分け入ってずらすこと。これが蓮實批評の重要な点であろう。
私は、このような蓮實重彦の「制度」批判にいまのところ共感している。蓮實の著作を読み続けているのも、「制度」批判に関心があり、それを参照したいがためである。

 日本は、西欧ではないという明白な事実。だが、その明白な事実をいかにして言葉にしたらいいのか誰も知らない。わが国の伝統だの歴史だのをさぐることがその事実を鮮明なイメージとして提示しうるものではないことはいうまでもないし、「文化」型態の単純な比較が有効なわけでもない。比較そのものが「差異」に基づく西欧的な概念にほかならぬからである。では、今日の「日本論」的言辞の同語反復的な日本の正当化に陥ることなく、また西欧言語理論の抽象的な導入にも頼ることなく、いかにして日本語を語ることができるだろうか。(p.124)

蓮實は、たびたび比較文化を馬鹿にしているのだが、そもそも、それが一つの「制度」内における思考でしかなく、結局「制度」を確認あるいは追認して安心する学問にすぎないからだ。私は、比較文学比較文化の勉強を続けてきただけに、いつもこの批判が気になってしまう。自分が「制度」内思考に陥っているのではないかと、絶えず自分自身を批判していかねばならないと思う。

反=日本語論 (ちくま文庫)

反=日本語論 (ちくま文庫)