中勘助『銀の匙』
◆中勘助『銀の匙』岩波文庫、1999年5月
引き出しにしまってあった小箱から「銀の匙」を取り出したことから、子供のころを回想が語り出される。病弱で神経質な子供であった「私」を、伯母さんは一生懸命に世話をしていた。伯母に守られていたのだった。
語り手の「私」は、身体的にも精神的に弱く、感受性も強すぎるのか、自分の外側にある世界と触れることに絶えず不安を抱えている。それゆえに、なかなか周囲の人々とうまく交わることができなかった。遊ぶのは、隣の家に住んでいる女の子だけだ。そして、この女の子との交流が回想の中心となっていくだろう。
感受性が鋭く、それゆえに神経質で、女性に守られている「弱い」男性。このような弱い男性が、おそらく近代文学でしばしば登場することになるのだろう。きっと、このような男性の系譜は、村上春樹の小説の男性へと受け継がれていくのではないだろうか。
ところで、こんな場面があった。
ある晩私たちは肱かけ窓のところに並んで百日紅の葉ごしにさす月の光をあびながら歌をうたっていた。そのときなにげなく窓から垂れてる自分の腕をみたところ我ながら見とれるほど美しく、透きとおるように蒼白くみえた。(p.125)
月の光に照らされる身体の青白さ。そんな自分の身体にうっとりしてしまう「私」なのだけど、このような月と身体の場面は、村上春樹も描いていたなと思い出す。身体が、月の光に照らされ蒼白く見えるというのは、文学ではけっこうありふれた表現だったのかな?と気になってしまう。
語り手「私」の感傷性がはっきりと現れた場面はつぎのものだろう。兄が、「教育」と称して、釣りに無理矢理連れて出かけたりして、「私」のこと鍛えようとしている。あるとき、兄は「私」を海岸に連れて行く。「私」は、疲れてひもじさも増し、涙が浮かんでくる。しかし、兄は「ほうっとけ ほうっとけ」ととりあわず、さっさと歩いて行ってしまう。心配した友達が、「私」に声をかけると、「私」はこう口にする。
「波の音が悲しいんです」(p.156)
この台詞は、すごいなと思った。この台詞を目にしたとき、思わず笑ってしまった。こんなことを言う少年が、実際にいたら周囲の人々はちょっと手に負えないかも。天才と言えば、天才なのかもしれないけれど。これは、ほんとうに名台詞だと思う。
- 作者: 中勘助
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1999/05/17
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