志賀直哉『大津順吉・和解・ある男、その姉の死』

志賀直哉『大津順吉・和解・ある男、その姉の死』岩波文庫、1960年3月
3つの作品とも、書かれていることが、なんだか分かったようで、実はよく分からない。3つの作品に共通しているのは、「父と息子の対立」なのだけど、両者の間の決定的な対立が分からないのだ。このことは、もう何度も言われていることらしいし、実際作者自身も「この小説の欠点として、よくあげられるのは和解は書いてあるが、その前の不和を具体的に書いていない、二人はなぜ、それほどに不和であったかという事がわからない」(p.286)ということだと述べている。続けて、志賀直哉は、この作品で書きたかったのは「和解の喜び」だったといい、それゆえに不和の原因は記さず、「和解の喜び」が表現できたことに満足しているという。
なるほど、たしかに父と息子が「和解」をしているのだけど、でもやっぱりその唐突感はぬぐえない。父を息子は、散々いがみ合ってきて、ちょっとしたことで言い合っていたのに、最後にあっさり二人は「和解」してしまっているのだ。「和解」するにも、もう少しドラマが欲しいなあと思ってしまう。この前読んだ『<戦前>の思考』のなかで、柄谷行人も「自然」と「和解」してしまうのだと述べていた。
「ある男、その姉の死」は、他の二つの作品とちょっと異なって、父と兄(これが順吉に相当する)の対立を弟の視点から描いたものだが、そのなかで、弟は父と兄の関係がこじれている原因に、祖父の存在をあげている。この家では、祖父が家長として、「ゆったりとした気持でみんなの上に臨んでいた」がそのことがかえって父と兄の間を「たいへん近くしていた」(p.254)ようだ。「祖父−父−兄」の関係が、「等差級数的」になっていれば問題ないが、この家では「祖父−父、兄」というように、父と兄が同一平面上にいたことが、二人を対立させてしまったのではないかという。父と兄が、同じ平面上にあるために、二人は父と息子という関係ではなく、「年のちがった仲の悪い兄弟」ではなかったかと。結局、そのために父は兄に対し、親らしい余裕のある態度が取れなかったのだろうと、語り手である「私」(=弟)は分析している。
「父−息子」という関係ではなく、疑似「兄−弟」という関係。親子の対立ではなく、これを兄弟の対立と見ることは、西洋の文学というか聖書の世界の影響などもあるのだろう。また、父と兄があまりに近しい関係だというのも面白い。こういうところから、きっと「甘え」の関係を指摘する研究もあるのだろう。

大津順吉・和解・ある男、その姉の死 (岩波文庫)

大津順吉・和解・ある男、その姉の死 (岩波文庫)