鈴木清順『オペレッタ狸御殿』

◆『オペレッタ狸御殿』監督:鈴木清順/2005年/松竹/111分
オダギリジョーチャン・ツィイーの主演。どちらも今気になる俳優。二人とも良い。演技が巧いなと毎回見る度に感心する。
それにもましてすごいのが、監督の鈴木清順だろう。とても80歳を越えているとは思えない。新鮮という言葉がふさわしい。
映画の解説によると、この「狸御殿」というのは1940年代から50年代の日本映画黄金期に、「狸御殿モノ」としてシリーズ化され上映された映画らしい。1939年に作られた木村恵吾の『狸御殿』を発端とする。1954年の『七変化狸御殿』、1959年の『大当り狸御殿』に美空ひばりが出演している。この『オペレッタ狸御殿』が美空ひばりにオマージュを捧げているのは、こうした背景があったのだ。
たしかに、『オペレッタ狸御殿』は映像技術を駆使しているのにもかかわらず、どこか懐かしい、私など1950年代の映画をそれほど知らないのに、フィルムの質感に50年代テイストを感じてしまう。「たぶん、50年代の映画って、こんな感じなのだろうなあ」という勝手なイメージが膨らんでくるのだ。
その一方で、このオペレッタという歌と踊りの世界が、たとえば北野武座頭市』を思い出させる。時代劇、時空を越えた物語に、あえて現代風の音楽やダンスを積極的に取り込んでしまう、そのような二人の監督に、方法の共通点を見てしまう。『座頭市』のダンスも良かったが、アナーキーというか映画の出鱈目さという点から見ると、鈴木清順のほうが凄味を感じた。
また映画の職人としての鈴木清順にも注目したい。私が巧いなと印象に残ったのは、チャン・ツィイー演じる狸姫が、オダギリジョー演じる雨千代との恋が結ばれて、その後お風呂に入る場面がある。要するにエロスの場面だ。チャン・ツィイーが、なかなか風呂に入らない、つまり肌を見せない。そして、最後に着ていたものをすっと脱いで、少し背中の肌が見えた瞬間、次の場面へさっと移動してしまう。結局ここではお湯に(広義にとれば「水」に)浸からないというのがミソなのだ。
そうしておいて、雨千代と狸姫の命を狙う平幹二朗が演じる安土桃山との対決の場面に入ってしまう。そして、雨千代を助けた狸姫が安土桃山の剣に刺されてしまう。注意したいのは、この場所が海岸であることだ。あきらかに、お風呂の場面との連続性をここでは意識しているのだ。単に風呂の場面はお色気のサービスショットではない。そういう無駄な場面を挿入しているわけではないのだ。
剣に刺されて倒れ、海岸で倒れる。ここではじめて水に身体が浸かることになることに注意しよう。それはエロスであるとともにタナトスの場面なのである。実際、風呂の場面では着ているものを脱がずに肌を露出することを避けていたチャン・ツィイーだが、刺されて倒れた時(タナトス)に、彼女の太ももが露わになっていること(エロス)に誰もが気がつくであろう。エロスとタナトスの結合した見事な場面を、こうして作り上げているのだ。鈴木清順が映画の職人たるゆえんは、このような巧みな映像の語りにある。
喜劇なのに、涙が出そうになる不思議な映画だった。涙と言えば、チャン・ツィイーなのだけど、彼女はこの映画のなかで二度涙を流している。それは涙の滴が玉になって、彼女の頬を伝うものである。このような涙の滴は、『2046』の涙を想起させるのだ。この『オペレッタ狸御殿』も涙が重要なモチーフになっていることは間違いない。
とんでもなく馬鹿馬鹿しいのに、面白くて、涙が出る。そんな不思議な映画だった。