平山洋『福沢諭吉の真実』

平山洋福沢諭吉の真実』文春新書、2004年8月
非常に面白い。この本は、近代の日本を研究する人たちにもっと読まれても良い。ポストコロニアルが流行したとき、日本の植民地主義批判する人たちが福沢諭吉を話の枕にして、その論を展開するのがパターンだった。たしか、小森陽一も『ポストコロニアル』でそうした福沢→丸山真男批判をしていたように記憶している(昔読んだ本なので間違っているかもしれない)。福沢諭吉を批判する、それはもうクリシェなのではないか*1
この本によると、現行の福沢全集、特に「時事論集」には、かなり問題があることが分かる。福沢が直接書いた文章ではなく、別の人物(つまり福沢諭吉の伝記を書いたり、全集を編集した「石河幹明」)が書いた文章、別の人物が書いた可能性がある文章も多く含まれている。そのようないい加減なテクストを元にして福沢の研究が行われ、福沢は市民的自由主義者だったとか、日本の侵略を扇動した思想家だのという論争が続いてきたのだった!。テキストクリティックの問題は、福沢が一体どちらの思想家であるのかという問題よりも、早急に解決されなければいけない。そもそも研究の土台が間違っていては、どんなに素晴らしい研究も水の泡だ。福沢諭吉の批判にせよ擁護にせよ、まずはテキストクリティックを行わないと、より正確なことは言えないだろう。今の段階では、福沢諭吉を話の枕にして植民地主義批判を展開するのは、ワンパターンだし、危険だ。
テキストクリティックは怖い。こう言っては失礼になるが、テキストクリティックは地味で面倒な作業だ。しかし、時々、それまでの説を根底からひっくり返すような思いがけない発見をすることがある。何はともあれ、「全集」だからと言ってテキストを盲信すると、痛い目に遭うことを本書は教えてくれる。
余談だが、それにしても、本来テキストを緻密に読み込むことが仕事である近代文学の研究者が、石河幹明のイデオロギーに踊らされていたとは嘆かわしい。日本近代文学研究者たちの実力なんてたかがしれているわけだ。イデオロギー批判には熱心で、当のテキストが目に入らないのだろう。最近では、この業界もアニメ研究に走ったりして、自ら自身の存在価値を否定しているようだが、それはむしろ「評価」すべきことなのかもしれない――。

福沢諭吉の真実 (文春新書)

福沢諭吉の真実 (文春新書)

*1:私は、日本の植民地主義を批判することが間違いだと言っているのではない。ここでは、あくまで福沢諭吉(とその研究)の問題。