デカルト『方法序説』

デカルト(谷川多佳子訳)『方法序説岩波文庫、1997年7月
あまりにも有名な本なのに、これまで読んだことがなかった。「我思う、ゆえに我あり」ばかりが目立つ、この本。この言葉は、第4部に次のように現れる。

しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。(p.46)

この部分をめぐって、古今東西の哲学者が議論を戦わせてきたのだな、としみじみと味わってみたくなる。が、実際に読んでみると、あっさりと登場するので拍子抜けしてしまった。もっともったいぶって書いてくれたら良かったのに、と思う。
方法序説』からうかがわれるデカルトは、非常に心配性というか慎重な人、というものだ。この心配性なところが、きっと方法的懐疑というデカルトの方法を生み出したのだろう。もちろん、時代背景もあるのだけど(ガリレイの事件を知った衝撃を、デカルトは第6部で語っている)。
最後にデカルトは、自分の今後の予定をこんなふうに記している。

わたしは生きるために残っている時間を、自然についての一定の知識を得ようと努める以外には使うまいと決心した。(p.102)

自分の問題だけをひたすら考えようとする、それ以外に時間など使うまいというデカルトは、たしかに哲学者なのだなあと思う。

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)