自分のことを「書く」ということ

しかしながら、これは単に自分のなかに「個性」がないから、自分のことを説明するのが難しいということなのか?そうではないような気がする。実はもう一つの困難として、これは文章の書き方、つまり表現行為の問題が挙げられる。自分のことを書いた文章が、平凡だと感じられるのは、自分自身が平凡なわけではなく、その文章表現が単に平凡にすぎない、ということなのかもしれない。とすると、表現を変えれば、今のままの自分でも自分自身を魅力的に他人に説明することができるのではないか。となると次の問題は、その表現方法をどうしたらよいのか、ということになるだろう。
「書く」というのは、本当に難しい。この頃は、ほんとうにそう感じている。何か自分のなかに混沌としてぼんやりとまだ何か形になっていないものが漂っているのだけど、それを外に出す、なんらかの「形」として外にだす、ということができないなあと思う。何かがある、しかしそれが自分自身で現せないもどかしさ、そして苛立ち。これが、私にとって「書く」ことの困難さだ。書いてみる、少しずつ言葉にしていくが、書けば書くほど、自分のなかにあったものと言葉が乖離していく。どこまで行ってもたどり着けない。言葉から疎外されるというのは、ある意味、世界から疎外されているような気分になる。いわゆる実存的な不安というものかもしれない。
電車のなかで、英会話の広告を見た。そこには、「もっと英会話を勉強して、自分の気持ちをもっと伝えられるようにしたい」などと書かれてあった。そんなこと、英会話を学んだぐらいでできるわけがない。こんなことは、言葉の怖さを知らないから言えるのではないか。もっと自分とは何か、言葉とは何かと突き詰めていったら、気軽にそんなことを考えられるわけがない、と思う。