小阪修平『非在の海』

小阪修平『非在の海――三島由紀夫と戦後社会のニヒリズム河出書房新社、1988年11月
戦後社会を空虚と感じた三島が、「現実」に疎外されつつ、いかに生きようとしたのかを考察した評論。というふうに読んだのだけど、実は内容の理解には自信がない。個々の作品の分析や、ある部分の思想の分析になるほどと思う箇所が多くあり、とても有益な本だとは思うが、全部読み通して、ではこの本全体で何を著者が語っていたかのかと振り返ってみると、何も出てこない。自分の読解力の無さを思い知る。
三島は「海」に固執した人である、ということを手掛かりに、三島にとて「海」とは何だったのかを論じている。「海」という点に着目したのは鋭いと思う。三島は「太陽」というモチーフが有名だけど、「海」は当然それとセットにして考えることもできるし、「海」というモチーフ自体、特に文学研究では重要モチーフとして様々な解釈をなされてきた。「海」はとても面白いモチーフなのだ。
でも「非在の海」と言われると私には理解できなくなってしまう。存在しない海ということだろうか。存在しない、するはずもないであろう「海」に、なんとしてでも到達してみようという強い意志を三島に見出したのだろうか。要するにロマン主義ということになると思う。
そう思って読んでいたら、そうではなかった。私はどうやら誤読していたようだ。「おわりに」で著者がこう書いている。

わたしは三島由紀夫は徹底的に自己の観念のなかでラディカルなひとであったとかんがえている。ここで自己というのは、ヨーロッパの哲学史が多少とも理念的に語ってきた自己の意味ではない。むしろ、わたしがどのような情熱をあるいは観念をもったとしても、それが自分のものでしかないと感じてしまうような「自己」のことである。だからわたしがここで言う自己は、ロマン主義が表象してきたような豊かな、生命力にあふれた自我ともちがう。むしろ、抽象的でなんの内容ももたないような自己、ニヒリズムの経験のなかで、人びとがさまざまな物語の衣装を脱ぎさったとき見いだすような自己、つまり追いやられるわたし、わたしであってしまうわたしのことである。(p.200)

「わたし」にまとわりついている「物語」を剥いでいき、さいごに残る裸形の「わたし」が三島にとっての「わたし」つまり自己という観念であったということは、たとえば「私はオブジェになりたい」という三島のエッセイにも書かれていたと思う。なので、この部分は納得できる箇所ではあったが、ただ「追いやられるわたし」という言い方が漠然としていて分からない。これは余計な言葉なのではないか。
小阪氏が語るのは、自分たちが青春をすごした時代すなわち60年代後半の全共闘の時代なのだ。三島を論じながら、本当に論じようとしていたのは、自分たちのことだったと思う。それはそれで、あの時代の思想を理解する上で良い本だった。
それにしても、私は全共闘を経験した人の文章を読むのが苦手だ、ということがはっきりと分かった。私の苦手の評論は、たいていこの世代の人たちの書いたものなのだ。この世代の人たちには、独特の言葉、あるいは話法というものがあるんじゃないだろうか。この世代だけ、異世界の言語を使っているような。世代論にしたくはないが、全共闘の時代の言葉に私はいつも「距離」を感じて困る。