現在でも旧正月を祝う国々があるけれど、それでいくと今日は大晦日だという。大晦日は寝ないで過ごすのだと、説明されたりして。なんでも寝てしまうと眉が真っ白になってしまうとか。
ところで、暦というのもなんだか面白い。陰暦は、日本の四季にあっているんだ、などと話をしているのを研究室で耳にして、ちょっと考えさせられた。どうやら、暦通りに四季を感じると言うとき、それは「日本」であればどこでも同じように感じるのだと思ってしまうようなのだ。まあ、たしかに日本は島国それほど広大な範囲にわたっているわけではないから、季節はどの地域でも大体同じだろうが、しかし天気予報を見れば分かるように20度近い気温の場所とマイナスの地域が実際存在するわけで、そうすると地域によって微妙に自然の感じ方は変わってくるのではないか。「日本」であるのなら、どこでも同じ気候である、つまり「日本」は均質な自然を持っているというのはある意味幻想かもしれないが、暦というのはそうしたナショナルの一体感を呼び起こしてしまうものなのかもしれない。などとカルチュラル・スタディーズ的に考えてしまう。たとえば、俳句などには季語があって、そうした俳句のなかに表現された季節感を理解できた時、ああこの季節感はやっぱり「日本人」なら分かるよね、みたいに季節や暦というものにもナショナルなものが立ち現れてくることもあるのではないか。