反省そしてこれからの目標
私自身、今書いている論文の方法が、安易に歴史や社会状況と絡ませて、テクスト外のことばかり論じてしまう傾向にある。その方法は、完全に失敗だったなあと思う。書いてしまった以上、とりあえず最後までこの方法で論文を書かなければいけないのだが、明らかに自分にとって大いに不満のある方法で論文を書くというのはつらい。早く提出して、永遠におさらばしたいものだ。この論文を書き終えたら、次の研究からは、やはり蓮實風のテマティックな方法で、テクスト分析をしたいなあと考えている。安易に歴史や社会など、外部の要素に頼ることなく、テクストの言葉をベタに読む。こうした作業に徹したいのだ。そうすることで、テクストを読む、あるいは言葉を読む力を身につけたい。
それにしても、怒りは収まらない。最近の学会では、こうしたテマティックな批評は、受け入れられないと後輩から聞いた。どうやら、単に蓮實ばりのテクスト分析をしても駄目で、歴史や作品の書かれた当時の社会状況がどんなもので、それがいかに作品に反映しているのかを論じないと学会では受けが悪いという。要するに、カルチュラル・スタディーズやポストコロニアル風な研究が圧倒的に支持されているらしいのだ。こんな馬鹿げた話があるのかとひどくがっかりした。
院生というのは、まだ何の力もないから、学会の流行に逆らうわけにもいかないし。テクストを読む力を持った人が、ほんとに可哀想だと思った。