鈴木貞美『日本の文化ナショナリズム』

鈴木貞美『日本の文化ナショナリズム平凡社新書、2005年12月
日本の文化ナショナリズムがいかなる形で現れてきたのか概観する。新書という性格上、各テーマを細部を深く追求することができなかったのだろうが、多くのテーマに触れているので、良い意味で教科書的に使える本だと思う。近年のカルチュラル・スタディーズポストコロニアル研究の成果が存分に取り入れられており、知っている人は「ああ、またこの話か」と思うかもしれないが、専門書をなかなか読むことが出来ない人には、この本が良い入門書となることだろう。
いくつか興味深いことがあった。ひとつは、明治の読み方として、「近代文明化しようとする動きと、近代文明に反対する動きの二つの方向、また、西洋化に向かう動きと、日本および東洋の伝統を形づくろうとする動きとの二つの方向、つごう四つの方向の動き」(p.144)があると、明治文化の分析スキームを提示しているところである。この四つの動きの中心に「近代天皇制」を置いている。ただし著者が、この図式は明治文化を理解しやすくするための図式にすぎず、当てはまらない事態もあると、ことわっていることには注意しておきたい。
もうひとつは、私が勉強不足で知らなかっただけかもしれないが、筧克彦という憲法学者を紹介しているところに興味が引かれた。明治天皇が没した後、筧克彦は『古神道大義』(1912)という本を書いた。ここで筧は「天皇と日本人民は互いにその存在を支え合う関係」(p.179)であることを示した。筧の論理を著者はこう説明している。

古神道」とは、「日本国の成立当初より存在し、之と共に発達すべく、又現に発達しつつある『かみのみち』」のことで、「日本民族日本国家といふ一心同体」を成り立たせる「生きた宗教」、生活の根本規範、国家の根本宗教であるという。憲法教育勅語とは、この精神を制度として定めたもので、これを「人の心の底に養はしめ」なければならない、と主張する。(p.179)

筧は、「絶対者に帰依する感情こそが宗教の本質であり、それを保障するのは精神共同体である」というシュライアーマハーの理論を「「天皇」に「帰一」する日本民族の心」と読みかえたという。
その後、筧は『続古神道大義』(p.1915)を書き、そこでは大正期に流行した「生命」主義が見てとれる。また「古神道」は「寛容」「平和主義」であり敵対しないかぎり包容するとされ、「「古神道」は一切を同化する力をもつ普遍理念」(p.181)だとしたという。
筧の考えは、1920年代に神社関係者に広まり、普遍宗教のお墨付きを得た国家神道は「内地」や「外地」の神社の活動を活発にした。そして、筧は「皇道派」の理論的支柱ともなる。
筧克彦という存在を知っただけではなく、その影響力がかなりあったことを知って驚いた。本書を読むと、大正期の「生命」主義が後々までさまざまな思想や文学に見いだされることが分かる。

日本の文化ナショナリズム (平凡社新書)

日本の文化ナショナリズム (平凡社新書)